自然農・第2世代の教科書

『これならできる!自然菜園 ―耕さず草を生やして共育ち』 竹内 孝功
評判良いので図書館で借りて読んでみて、あまりに素晴らしいので、結局自費購入しちゃいました。
この本は、実際に畑作りをされない方にもオススメできます。
何かを成し遂げる(身につける)には、これだけの時間と情熱を注いで工夫しなくてはならないのか、と云う刺激をもらえます。
そういう意味では、『町工場・スーパーなものづくり』 にも共通する、職人的な美学を感じさせられます。
あと、自分たちが当たり前に食べている野菜一つ作るのにも、これだけの創意工夫が注ぎ込まれているんだとも感じさせられます。
いまやっている小屋作りが一区切りついたら、来年は、この本をテキストに畑作りに勤しんでみたいと思います。

いまの自分(いま関心を持っている、もの・こと)

1、刀禅の稽古

長い間、切願しておりました、定期的に指導を受けられる状況が、やっと巡って来てくれまして、これから二年間は、何よりも優先して学ぶつもりでおります。
そして、その練功が、どのようなかたちで、自分がこれまで学んできたもの(瞑想やボディワーク)と繋がり、混ざってくるのか、それを、どう変えてくれるのか(どう否定してくれるのか)、何を見せてくれるのか、楽しみに取り組んでいきたいと思います。

2、進化生物学

二年ほど前から始まった興味は失せることなく、引き続き、アレコレ読み、また考えています。
比喩としてではなくて、まさに、言葉通りの事実として、この宇宙とは、一つの得体の知れない巨大な生き物の身体であり、私たち一人ひとりは、その「何か」の細胞である、と考えております。
この宇宙とは一つの生き物の身体である、と。
また、世の中(世間、社会)、(私たちの)身体のなか、脳のなかで起こっていることはすべて、自然淘汰の、進化の過程そのものであり、まさに、いま、この瞬間も、進化ゲームが展開されており、「進化の外はない」のだ、との理解も、揺らぐことなく定着してきております。
進化的な思考によって、これまで学んできた仏教的なもの(瞑想・内観)、あるいはボディワークなどが、どう見直され、理論的に組み換えられ、転換していくのか、それがこれからの自分のなかでの大きな主題であり、楽しみでもあります。

3、あい変わらず、ヴィパッサナー瞑想、内観、フェルデンクライス・メソッドなど

いかにそれを自分の日常意識に定着させ、自分の意識の常態として「使えるもの」にしていくか、と云うのは、私にとって、切実で、また、つねに新鮮な、永遠の課題であります。
(これら三つに関して)「いやー、こりゃあ大した技法だなぁー」と云う感覚は、年々強まりこそすれ、失せることはありません。

……

そして、これら三つの主題が別のものとしてではなく、最終的に、「ひとつもの」として、どう「ひとつ場所」に流れ込み、統合されていくのか、それが最終的に、どこに向かい、どういう姿に変形・変貌していくのか、それを見届けたいとの思いこそが、いまの自分の生きてる楽しみであり、原動力なのだと思います。

今日の一言 より

何事が起きようとも、これは、私にふさわしいことだ、と自らに言い聞かせる。
業がもたらす事実は変えようがないが、経験の意味と解釈は、いかようにも変えることができる。
柳に風、海に降る雨、慈悲を深める悲しみ、ドゥッカ(苦)の果ての悟り‥‥。
与えられたものを、ことごとく受け容れていく‥‥。
楽しく笑い転げていた日々があった。
絶望で目の前が真っ暗になった日もあった。
その時々の縁に触れ、起きるべきことが常に、起きていたのだ。
無量無数の因果の帰結として、ただ生滅しているだけの事象に夢中で反応し、苦楽の印象を心に焼きつけ、幸福と称し、不幸と呼ぶ人生が、今日も流れていく‥‥。
ブッダのヴィパッサナー瞑想 今日の一言より