最近知ったページなのですが、太っ腹にも「文章や画像はご自由にお使いください」とあるので、何枚かを、このブログのヘッダー画像に使わさせて頂いております。(なので、屋久島のではない写真が幾つか混じっています)
ありがとうございます。
パワースポット
http://hifumi.sakura.ne.jp/yamato-powerspot.html
カテゴリー: blog
森信三 『一日一語』の味わい
九月二十六日
道の継承には、少なくとも三代の努力を要せむ。
従って継承者は師に劣らぬだけの気魄と精進を要せむ。
一人の宗教的人格が生まれ、それが完成に至るには、親子三代はかかる。
もし、自分が一代目であるなら、次の世代に、良き精神的遺産を残せるよう、子を、そして、関わるすべての人を育てなければならない。
自分が既に、二代目、三代目との自覚があるならば、
その(親や師、先人から)受け継いだ良き資質を、この自分の今生に於いて開花させるべく努めるしかない。
九月二十七日
われわれ有限者にとっては、絶対者は幻を通してしか接しられない。
それはちょうど、晴れた日の太陽は直視できないように、雲間を透してのみ、その姿を垣間見ることが出来るようなものです。
日の光の美しさは、雲があって、より、その美しさが増すように、
煩悩と云う雲の隙間から射し見える、気づきの光は、より美しい。
それは、煩悩まみれの、この心に、仏の、気づきの、あちらの世界の光がさす瞬間の光景である。
私たちは、どこまでも、純粋な光-煩悩の滅尽を目指さなければならない。
しかし、この雲越しに射す光の、何と美しいことか。
愛しているものがあるならば
愛しているものがあるなら、自由にしてあげなさい。
帰ってくれば、貴方のもの。
帰ってこなければ、はじめから貴方のものではなかったのです。
When you love something
Set it free
If it comes back to you,
It is yours.
If it doesn’t,
It never was.
ココロとカラダ 不安と不調
kikulogの記事、「大阪大学・東日本大震災以後の科学と社会を考える研究会」の、
「#92. 技術開発者 September 21, 2011 @15:42:01」の投稿から
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1315415814#CID1316522562
以下、引用
—–
>子供の体の健康も大事ですけど、心の健康も大事だと思うんですよね。
子供に限らず、皆さん全員のメンタルヘルス環境は大事に考えて欲しいんですね。チェルノブイリの後におきた様々な疾病の原因をメンタルなものに求めると必ずといって良いほど「低線量被曝の問題をメンタルの問題にすり替える原発推進論者の陰謀」みたいに言われる風潮がある訳ですが、メンタルヘルスと疾病の関係を知る者にとっては、低線量被曝の害よりもはるかに大きな「継続的ストレス」に起因する害を心配しないではいられない訳です。
例えば、チェルノブイリの石棺つくりに動員され被曝した労働者の健康状態の追跡調査の結果などでは、例えば、うつ病の発症率とか自殺率などが他の地区に比べて2倍から3倍高い訳です。でもって、発症した人の多くに共通する妄想として「自分の身体に回復不可能な損害が生じている」という部分があったりするわけですね。
因果関係が分かりやすい精神障害の発症率を例に出しましたが、継続的ストレス下におかれると、高血圧などの循環器系の障害や胃潰瘍などの消化器系の疾病の発症も増加しますし、実際にチェルノブイリの労働者では増加したとう報告があります。心の健康というのは実の所身体の健康と大きくつながっているものではあるのです。
こういった、「絶え間なく不安になる情報にさらされる」といったメンタルヘルス環境の悪化に起因すると考える方がはるかに納得のいく病気の発症率の増加すら、世の中には「それはメンタルによる発症ではない、低線量被曝のせいだ」という論を唱える人もいます(うつ病の増加を「脳が放射線で傷害されたせいだ」と言っている人も知っています)。そういう人たちがその論を唱える事で、「絶え間なく不安になる情報にさらされる」といったメンタルヘルス環境の悪化はさらに進み、これらの疾病の発症率はさらに増加することさえ心配される訳です(一種のマッチポンプ型の悪循環が起きる訳です。ベラルーシでは実際にこの循環が起きたと考えています)。そういう論の人たちは、チエルノブイリの労働者を対象にメンタルカウンセリングを行う事で、うつ病などの発症率が低下したのを、どう説明するのか知りたいと思ったりもします。
上の方で長崎大学の山下教授の話なども出ていますが、「この程度の放射線では何も起きませんよ」というのは、皆さんのメンタル面を考えたときには、或る意味、とても理にかなった発言だとも言えるのです。山下教授は、チェルノブイリの労働者や住民の追跡健康調査結果なども熟知されていますからね。放射線によるわずか確率の害よりも、皆さんのメンタル面からの疾病というはるかに大きいリスクが予想されるなら、そちらに手当てするのが、私などは「理にかなう」と考える訳ですが、多くの人が「それは理にかなわない」と、「絶え間なく不安になる情報にさらされる」といったメンタルヘルス環境の悪化の方を選択されているのが現状だろうと思います。
「観察」における分離
「分離を拭えない(の残る)観察」と「分離なき観察」は、
二つの(此岸と彼岸のような)隔絶した別ものではなく、
一繋がりの大地のようなもの。
だから心配せず、自分にできるレベルの観察を繰り返し、
積み重ねていけば良い。
歩いていれば、気がついたらあちら(彼岸)に居るようなもの。
絶対的な断絶はありつつ、飛び越えてみれば連続している。
存在するものにヤー(yes)ということ
ユングが、死すら覚悟した大病を乗り越えた後に語った言葉だそうですが、
存在するものにヤ―(yes)ということ。
あるがままに対して無条件にヤーということを学んだ。
自分の運命にヤーということがどれほど大切かを初めて理解した。
存在するもの― 今ある事実(痛み、苦しみ、恐れ、怒り)に、
明晰に気づきつつ、受け入れること。
全面的・無条件降伏。降参し、両手を挙げること。
そのものに対する愛情を持って。
「全的な受け入れ」の極み・完成態こそが
「純粋な、全的な、受動的な気づき」であり、
「全的な気づき」と「全的な受け入れ」は同時に成立する。
あるいは、一つの(存在における)事態の、別名(別の顔)であるとも言える。