釜の中での原子転換

野呂美加さんと放射能対策
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1314034425
私も、酵素玄米自体は、とても美味しくて好きなのですが、
前に「釜の中で原子転換が起こっている」と云う話を聞いて、さすがにヒキました。
単純に、「酵素玄米美味しいよー」と云う話に留めておけば良いのになー、と思ったものでした。
mixi内に、色々な酵素玄米の実験コミュニティがあり、面白いです。
私自身は、普通に玄米や白米焚いて食べています。
[mixi] 小豆玄米(我流酵素玄米)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=144949

映画『インセプション』

この作品について語り始めれば幾らでも語れる、と云うほどに、
私にとっては面白い映画でした。
そして、その面白さは、まだ尽きず(掘り尽くせず)、意識のなかで現在進行中です。
7月末に研修が急遽キャンセルとなって予期せず生じた3日間の休息中に鑑賞したのですが、
3日続けて3回見直したのは、この映画が生まれて初めてでした。
まず、脚本が素晴らしいです。
ストーリーのなかにストーリーが組み込まれ、
この映画を「何の」映画だと認識しているかで、
その人の理解レベルが分かるでしょう。
落ち着いたら、あと何回かは集中してじっくり見たい映画です。
『インセプション』

結局、ディカプリオは現実に戻れたの? 『インセプション』の感想&考察まとめ

終わりと始まり

昨日午後、夫婦お二人の瞑想コースが無事終了し、空港へお送りできました。
お疲れさまでした。
内容については、近々送られてくるであろう体験記に期待したいです。
—–
お二人をお送りした後、その足で、前日、訃報を聞いた知人のところに行ってきました。
川の底に沈んだ状態で発見されたそうで、3日目ですが、すでに腐敗がすすみ、顔全体が深青緑に変色し、膨れ上がり、鼻血を流した状態でした。
何時間か前に到着したと云う親族の方は警察に行っており、誰も居ない部屋のなかでの対面でした。
(結局、死因が特定できないので鹿児島に遺体を送って検死ということに決まったそうです)
顔を見ながら色々なことを考えさせられました。
自分のなかでこの経験を無駄にすること無く在ろう、などと。
九相詩絵巻
http://www2u.biglobe.ne.jp/~itou/deki/dekixx/acontentX28.htm
 
 

死者と生者

さきほど、連絡あり、面識のある屋久島の移住者の方が、亡くなったことを知りました。
昨日、沢登り(下り)をしていて行方不明となり、本日遺体で発見されたそうです。
彼は、名前の一部をとって、みんなに「キクちゃん」と呼ばれていましたが、
若い頃から世界を放浪して、最終的に、エコロジカルでスピリチュアルな共同体を造ろうと云うヴィジョンを持って、屋久島に移住してきてました。
最初に会ったのは、私がまだ、前のピラミッド舎で研修していた時で、ある日、帰宅すると、家の前の畑で農作業をしている男の人が居て、誰だろうと思って「こんにちはー」と話しかけてみると、ヒゲを生やした爽やか旅人・ヒッピー系な感じの人で、話しているうちに、彼が以前に居た禅の道場や、経験したヴィパッサナー瞑想合宿などの話になって、アレコレ楽しく話しました。
その後、私が引越しして、顔を見ることが少なくなって、何ヶ月かぶりに顔を合わしたときは、しばらく話した後「最近、心理的にキツイので、もし可能ならば内観コースを受けてみたい」と言われ、「もし、本気でやってみようと思われるのであれば、喜んで受け入れますよ」と云う会話で別れ、その後、結局実現はしませんでした。
最後に会ったのは、確か10日くらい前、一つ前の研修の方と一緒に、淀川口~花之江河と歩いてる途中、思わぬところで向こうから降りてきて出会い、私が「研修者の方を案内している」のだと説明すると、「ほう、ヴィパッサナーで気づきながらの自然散策ですか」と笑っていたのを思い出します。それが、顔を見た最後でした。
死とは、何とも呆気ないものだな、と感じます。
これは、東山寺和尚さんの訃報を聞いたときも感じましたが。
自分にも、残された時間はあまりないのだろうと思います。
「そのとき」が不意に来ても、後悔することが無いよう、
一日一日を、しっかりと、充分に、生きておくことしかないのでしょう。
彼のことを書いているうちに、もう一つ思い出しました。
もう2年くらい前になるでしょうか。
テレビ局が縄文杉の撮影をするのに撮影機材運びのポーターのバイトがありました。
屋久島の金の無い移住者に声が掛かり、こちらでの仕事としてはかなり高給な話なので、私も、それに飛びつき総勢30人以上で各人荷物を背負って山に登りました。
その途中、撮影待ちで、1~時間くらいの休憩がありました。
私は友人と、山の中に探検に行って遊んでました。
そうしたら、途中、誰も居ない空き地のなかで、瞑想しているキクちゃんが居て、(彼は、日課的に瞑想をする習慣を守っていました)
私たちは、彼の瞑想の邪魔をしないよう、少し道をそらして歩きました。
その後、みんなの所に戻っていると、彼が来て、「いやー、さっき瞑想してたら、小鳥がやってきて、自分の膝や肩にとまって、しばらく飛び移って遊んでいたよ」と嬉しそうに話していました。
なかなか感じの良い男でしたが、これで顔を見ることもできなくなりました。
私の記憶のなかで、徐々に、彼の存在も薄れていくことでしょう。
そして、私自身の死によって、すべては掻き消えていくことでしょう。
彼の存在の記憶として、いま、ここに書き留めておきます。

原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった

原発もあの戦争も、「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった?
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110802/221831/?leaf_rcmd
以下、一部引用
—–
話はちょっとずれますけれど、マスコミの問題で私が連想するのが、殺人事件報道の多さです。国内における殺人事件の発生件数は戦後どんどん減って、いまや史上最低だったはず。なのに、マスコミの報道はむしろ増えている感じがする。すると奇妙なことに、日本は昔より物騒で殺人ばかりが起きている国に思えてきてしまうんですね。
池上:2010年の殺人事件発生件数は1067件。戦後最小記録を2年続けて更新しました。いまの日本は、殺人件数から見ると、世界に冠たる平和な国で、自身の歴史のなかでもおそらく最も殺人が少ない社会です。
加藤:ところが、一般の人はそう思っていない。マスコミで毎日のように殺人事件を報道しているからです。テレビを見て新聞を読んでいると、1日3件くらいずつ、新しい殺人事件を目にする。極端に言うと、テレビと新聞によって、全国津々浦々の人が日本で起きている殺人事件を知っていることになる。国民の安全感が刺激され過ぎていますね。世の中が殺人鬼で溢れているように感じてしまう。報道のマジックです。
池上:1980年頃、NHKで私は警視庁捜査一課担当、つまり殺人事件専門の記者だったことがあります。当時は、特殊な例を除き、殺人事件はローカルニュースにしかなりませんでした。2、3人まとめて殺されるような事件でない限り、全国ニュースにはまずなりませんでした。北海道で起きた殺人事件は北海道のローカルニュースでおしまいだったわけです。
加藤:なぜ、事件数は減っているのに殺人報道は増えているんでしょう?
池上:殺人事件の取材報道がマスコミにとって一番楽だからです。現在、民放を中心に、ニュース番組の時間枠がどんどん拡大しています。芸能人を起用したコストのかかる番組の代わりに、予算のわりに視聴率が見込める、という理由からです。
 でも、報道記者やニュースに強いディレクターが増えるわけではない。そんなとき、殺人事件報道ほど、注目を集めやすく、かつ取材が楽なものはない。事件の概要は警察が全部発表してくれるし、容疑者や被害者の写真も貰える。カメラマンを現場に出せば、とりあえず現場の映像が撮れる。マイクを向ければ、近所の人は「怖いですね」と言ってくれる。あっという間に5~6分の報道が一丁上がり、なんですよ。
加藤:しかもその報道によって一般の人たちには「怖い」という感情が植え付けられる。警察にとっても好都合。予算が多く取れる材料になる――。