透明な人たち

福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。
医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり)
http://www.kotono8.com/2011/03/18futaba.html
この記事を読んで、数日前に見た、この記事を思い出しました。
kyupinの日記(精神科医のブログ)
http://ameblo.jp/kyupin/entry-10863825845.html
現在社会に於いては、通常、死と狂気は隠蔽(表舞台から隠)されており、
今回の震災でも精神病院がどうなっているかの報道は聞こえてこないのですが、
私たちの知らないところで頑張っておられる患者の方と職員さんがおられるのでしょうね。

自分の内と外

自分の外側(社会)の動きに、自分の内面(の反映)を見、
自分の内面の動きに、自分の外(社会)の雛形を見る以外にないのだと思います。
「真の社会革命は、個々人の内側からしか起こらない」と言ったクリシュナムルティの言葉は、
いまの、この現実にも、変わらず適用できるものであると思います。
「The Only Revolution」と云う本もありました。
内と外とを切り離した認識(問題設定)において、
それを変えようとすることに、望ましい結果が待っているとは思えません。
まず変えるなら、自身の内なる、狡さ、汚さ、利己性であり、
まず処理すべきは、自身の内の、怒り、恐怖、不安、疑いではないでしょうか。
すべては自身の反映でしかないと、繰り返し言い聞かせながら。

祈りの力を信じるなら

もし、祈りや慈悲の瞑想の力を信じているのであれば、
今、最も、その力を向けるべき対象は、
行政に関わっている政治家や、事態の収拾に必死になっている電力関係者の方たちではなかろうか、と思います。
その方たちが、誤った判断・決断を一つしてしまったなら、今後の日本の展開に大きく影響します。
なので、もし祈りや慈悲の瞑想の力を信じているのであれば、
まず、それらの人たちの心身の健康を祈り、その方たちが最高の能力を発揮し、職務を全うできることを祈るべきだと思います。
もし、いま政治家や電力会社に対して、怒りや嫌悪を向け、心の中で毒づいている人がいるとしたら、馬鹿者だと思います。
本当に出来のいい生徒(真に有能な人)に対しては、うまくできていることには触れないで(言わないで)、
失敗しているところだけを指摘する「厳しい指導態度」は有効でしょうが、
できの悪い生徒(それほど有能でない人)に対しては、
まず褒めて、ねぎらって、そのうえで欠けているところを指摘する、「やさしい指導態度」を取らないと、萎縮してしまい、その人が本来持つ能力を引き出す(発揮する)ことはできないと思います。
(この喩えで表現したいのは、「もし、それほど有能ではないと感じているのなら、なおさら批判(ダメだし)だけを続けて追い込んではならない」と云うことです)
今後、国内を「批判の嵐」が吹き荒れるなら、
その外に(他に)向けた批判によって、自身のエネルギー自体が消耗され、
互いに疲弊し、国は衰えていくでしょう。
批判は「内在的」でないかぎり、なんの良い結果も生み出せない、
と思うのです。