辞世の句 二つ
これでよし 百万年の 仮寝かな
すがすがし 暴風のあと 月清し
疲労と不安と怒り、そして、それの表現としてのイライラの頻発―
それが、現在、私たちの多くにとって問題となっていることではないでしょうか。
長期間に渡り、解消されないまま続いた「不安」は、疑いとなり、
より不安を強めるストーリーを生み出し、暴走し、
向けどころの無い「怒り」は、その理由付け(怒るに足る正当な理由)を探し、
分かり易い標的を見つけ出しては、それを発散しようとします。
「イライラ」は、生活を覆い、自分の心身を(放射性物質以上に)痛めつけていきます。
心身ともに、疲れてきています。疲労は溜まっています。
これまで安楽な環境のなかで、スピリチュアルな覚醒、愛や融合の話を楽しんでいた私たちの多くが、徐々に不安や恐怖、ストレスの産む「ネガティブストーリー」に巻き込まれつつあるように思えます。
はっきり言えば、私たちの多くが、これまで分かった風に喋っていた、
覚醒の教えやワンネスの教え― いま、ここしかない、とか、恐怖は思考が生み出す、とか、
そういった「カッコイイ話」が、全部、頭のなかの理解でしかなく、
あっけなくメッキが剥げてしまっている人が多いのではないでしょうか。
もし、自分がそうであるなら、
まず、そのことを率直に認めることからしか始まらないと思います。
自分の「分かったつもり」「悟ったつもり」なぞ、何の役にも立たなかった、
津波をさえぎる防波堤ほどの役にも立たなかった、と。
■
修行に行きたければ、この現実以外に、実践の場はなく、
最高のグル(師)を探したければ、この現実(の状況)のなかにしか居ないでしょう。
この「現実と云うグル」の与えてくれる課題を避けていて、
心の修行に始まりはないでしょう。
■
人間には二つの種類しかない。
問題 ・責任を、外に(他に)見ようとする人と、
すべてを、内に(自らに)見ようとする人と、の。
眼を外に向け、他を責めている限り、
自己の本質的な変化はなく、状況の本質的な改善もないでしょう。
(他の持つ問題も熟知した上で)まず、自分の側の問題を誤魔化しなく見つめ、
それにまず取り組んでいくとき、問題は動き始め、状況は変化していきます。
■
疲労、不安、怒り、イライラ―
いま、自分の中にそれしかないのが事実なら、それ以外に(それの外に)解決法も答えもありません。
その否定的感情自体がグル(師)であり、それに習うしかありません。
それだけに、徹底して留まるしかありません。
自分の、外に向けての情報収集が、この内なる不安、不満、イライラ、ソワソワからの、うまい逃避でないか確認してください。
もし、逃避であるのなら、まず、その「現にあるもの」からの逃避を止めてください。
そして、自分の限られた自由になる時間(空き時間)を、
その「現にあるもの」との対話・直面に振り向けてください。
自分=問題の感覚に留まること
問題の感覚に留まること
この、しばらく前の投稿に書かれていることを、
今まさに実践してみるべきときではないでしょうか。
それを最後までやり抜いたとき、
普通では得られない、大きな宝、大きな安定を得られることと思います。
今やらずに、何時やるのでしょうか。
真に自分を救ってくれる情報は外側にはなく、
自分の内側からしか出てきません。
■
これは自分自身に言っていることです。
いまこそ修行に専念するべきときでしょう。
イエスはオリーブ山へ行かれた。
朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、
御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、
姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、
イエスに言った。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。
こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。
ところで、あなたはどうお考えになりますか。」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。
イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、
イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」
そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。
これを聞いた者は、年長者から始まって、
一人また一人と、立ち去ってしまい、
イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。
イエスは、身を起こして言われた。
「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。
だれもあなたを罪に定めなかったのか。」
女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。
これからは、もう罪を犯してはならない。」
死ぬことなんか容易い
生きたままこれを見なければならぬ
よく見ておけ
地獄はここだ
遠いところにあるわけではない
ここなのだ 君だって行けるところなのだ
■
何もかも失った。
それを突き詰めると、何かが見える。
■
「受苦」ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。
私はそれを本能的に免れるために頑張っているのである。
……
多田富雄先生の挑戦
http://www.st.rim.or.jp/~success/tadatomio_ye.html
http://www.st.rim.or.jp/~success/tadatomio03.html
わが心 深き底あり よろこびも うれいの波も とどかじと思う 西田幾多郎
わが心 底もきわみも無かりけり 十方三世 照り渡りぞ 山崎弁栄
(もしかして、「照り渡れり」だったかも知れません。記憶が曖昧です)
震災にまつわる心理学的ケア情報
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東日本大震災 ー 放射線の影響
※ このスライドは、免疫学が専門である宇野賀津子常務理事を中心に、坂東理事長、松田副理事長の意見も取り入れ、ワーキーングチームの方々の意見をもとに推敲を重ねたものです。
このスライドには、
1)地球上の生命が進化の中で獲得してきた放射線から身を守るシステム
2)私達の身を守る免疫機能
を強化することが、放射線による発癌のリスクを低減させることであることを伝えることを目的としています。
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モラル・パニック – Wikipedia