いま、現に存在する事実・現象(痛み、不安、苦しみ)などを全面的に経験することこそが瞑想であり、
それ以外の、それを無くそう、そこから離れようとしてする心身の操作は、基本的に逃避である。
現実から逃げている限り、その現象は繰り返し現れ、人生に付き纏う。
しかし、今ある現象を変えよう・無くそうとするのではなく、
それをそのままに、見よう・耳を澄まし聴き取ろう・理解しようとする
受容的(受苦的)な心の構えができたとき、
その事実は、真理(答え)へと変容を始める(化けていく)。
この変容の過程を、事実の開花(フラワリング)との言葉で表現することもできる。
「瞑想とは、ある意識状態(現実)から別の意識状態(理想状態)へ移っていくことと思われているが、実際にはそうではなく、あるがまま(現実・事実)を見て(に聴いて)、そしてそれだけになっていく過程なのである。」
あるがままのもの(今の現実)そのものが、真理である訳ではない。
しかし、この個々人の、今ある、あるがままの現実こそが、真理への扉(秘密のドア)であり、そこを通ってしか真理の世界には参入できない。
その扉を開きたければ、根気強く、この、いまある「痛み、不安、苦しみ」と云う事実・現実を見、それに聴き、そこから逃げようとすることなく、そこに留まり、それを味わい尽くし、それと一つになることしかない。