怒りの向けどころ

今回のような事態が長期化した場合、
放っておけば、心のなかを、不安、怒り、絶望が覆っていってしまうことは
避けられないことでしょう。
不安からは、様々な疑いが生まれ、増殖し、
怒りは、当面の分かりやすい標的を探し、攻撃することで、
このやり場の無い塊を吐き出そうとするでしょう。
災害初期における、緊急時の生体の適応(防衛)反応である、
事態に対する非現実感・夢を見ているような感じや、無感情(感情を感じられない)、あるいは一種の躁状態(ハイテンション)、身体的には、ケガや打撲の痛み、あるいは疲れすら感じとれない(自覚できない)緊急事態モードは、すでに解除され、これから本格的に、自身の喪失感、痛み、悲しみ、絶望、怒りと向き合わなければならない辛い時期が始まるでしょう。
被災の程度はそれぞれですが、多くの人が、この一ヶ月間、不満、不快、イライラ、我慢を大量に感じ、その解消できないイライラ(怒り)が、様々な場面で、問題をこじらせています。
もし修行者であるならば、この大変な場面で、いかに自分の中の怒りを外にぶちまけ、更なる怒りの連鎖を作ることなく、自己解消できるか、
「怒り」と云う(投げ込まれた)材料を、如何に「気づき」によって無害化・無毒化し、自分(意識)を動かしていくためのクリーンエネルギーに変換できるか、
自分の存在そのものを、「気づき」による浄化装置・発電所にする試みに取り組んでいくしかありません。
いかなる場合であれ、怒り、不安、疑いに発した行為、行動、言葉は、
良い結果を生み出しません。
事態を、ますます混乱させ、救いがたいものにするだけです。
外へ向けた怒りには、解決も救いもありません。
自分の心身が、より一層、駄目になっていくだけで。
怒り、疑い、不安は、自分の心身を痛めつけます。
自分に毒ガス攻撃をかけているような、
感情の自己中毒状態でしかありません。
「怒る理由」の正当性など、問題ではなく、
義憤も、私憤も、関係ありません。
楽になりたかったら、救われたかったら(理屈はどうでもいい)
怒りを自分のなかで解消することです。
これを機に、抜本的な社会改革をするべきだと考えるなら、それも良いでしょう
(間違いなく、為されるべきでしょう)
でも、今は、外に向けて怒っている場合ではないのです。

こころの復興 笑いヨガ

読者の方が、記事に関連した情報を送ってくださいましたので紹介してみます。
「香山リカの「こころの復興」で大切なこと」
http://diamond.jp/category/s-kayama

■ 「笑い」に関して
> 笑いヨガ、誰でも出来て超お手軽、超強力な効果だと思います。
> やっぱり横隔膜の振動がカギだと思います。
> 色々なアイディアの笑いがどんどん開発、進化していて、朝のラジオ体操の後にやるとか、もっと広まればいいと思うのですが。
ラフターヨガ・ジャパン
http://laughteryoga.jp/

Steve Reich

なんと! ニコニコ動画でもライヒが聴けるようです。
Reichは最高 ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/mylist/3507682
まずは、Music for 18 Musiciansからどうぞ。
Six Marimbasも良いです。
私の「無人島に持って行きたい3枚のCD」のうち一つは、
まちがいなく18 Musiciansです。
残りの2枚は迷いますが、ライヒに関しては迷いはないですね。
CDは、こちら→ Music for 18 Musicians
(ニコニコのものとは多分録音が違います)
このCDは、ジャケットも内容を的確に表現できていて秀逸です。

被災地の映像を見て 3

そして、その上で、この映像を見て、すごいなー、と思うのです。
【地震】じいさん「また再建しましょう」
過去に自然災害を経験しているから? いや、戦争を経験しているから?
なぜ、こんなに強いのだろうと思うのです。
人間は、これくらいのことで諦めていたら、いま、こうして生き残れてはいなかった。
これくらいは何ともない、強さを持った生き物なのでしょう。

もし、貴方が、もう一日頑張ってみよう、と思えるなら、もう一粘りしてみましょう。
死ぬのは最後にとっておいて。
最悪は最善の予兆(前触れ)であり、
地獄の底の床板を剥がしてみたら、天国の最上階の天井裏だったと云うのが、人生の常です。
「死ぬか狂うか」の限界状態まで、簡単に折れてしまわずに粘ることです。
大丈夫です。人間(の脳は)、結構強いものです。そう簡単には壊れません。

被災地の映像を見て 2

また、それと全く逆のことも感じました。
(これは不謹慎といわれるかも知れませんが、書いてみます。)
私は、マックス・エルンストと云う画家の「雨後のヨーロッパⅡ」と云う作品が、
(なぜか分からないのですが)昔から吸い寄せられるように好きなのですが、
その絵に感じるような、すべてが壊れてしまった後の、開放感のようなものも感じました。

現代の日本においては、有る程度の年齢になれば、大抵、未来(将来)は見えてきます。
安楽な世界で、それなりに暮らしてはいながら、
静かに絶望しているような閉塞感を感じている方は居られたでしょう。
それが、あっさりと粉砕されました。
もし、この現状に対する、(悲惨さと同時に)開放感を味わっておられる方が居られるなら、
初めて、「生きてる」と云う強烈な実感を感じておられる方が居られるなら、
それを、今後の人生の展開に生かして欲しいと思うのです。
(本当に、物事の感じ方(出来事の持つ意味)は、人によって全く違います。
この震災が、まったく逆の意味を帯びている方も居られると思うのです)
もし、貴方にとってこれが「良きこと」であったならば、
この好機を逃さず、本当に満足できる、本当に自分が生きたい人生を築いて欲しいと思うのです。
「人生第2幕」と考えて、これまでの自分には破れなかった限界を破って、
生を燃焼させて欲しいと思うのです。
洪水によって川底が揺すられ、剥ぎ取られると、全てのものが動きます。
振動によって、それまでの秩序が揺れて壊れて、動き始めます。
いま、全てのものが移動を始めています。
西と東で、南と北で、かってない大規模な、この出来事がなければ起こらなかったであろう(人の、モノの)移動が生じています。
安定していたものがシャッフルされ、流動化しています。
これが、良いことなのか悪いことなのか、それは私たちには分かりません。
ただ、地球始まって以来続いてきた、自然なできごとではあるのでしょう。
これまでの自分の人生に不満であった人、でも「こんなもんだろ」と諦めていた人は、
この好機を逃がさず、本当に納得できる人生を掴んでいただきたいと思うのです。

被災地の映像を見て 1

何日か前、私は「被災地の皆様へ お詫び」と云う文章を書きましたが、
あのとき、ショックを受けた震災映像とは、
街中まで津波が押し寄せて、メリメリといつも住んでいる町並みが飲み込まれていく情景、
また、その後の、泥一色のペローンと舐め尽くされた(あるいはグチョグチョの残骸だけになった)情景、でした。
これが自分の土地・家で起こったことだと考えたら、とても復興頑張ろうとは思えようもなく、
自分だったら、もうやる気しなくて、めんどくさくなって、そのまま人に気づかれないように海にでも行って身を投げて、津波の被害者、行方不明者の一人になった方が楽じゃないかな、と正直思いました。
私たちが、死にたいときに自殺を思い留まる理由のまず一つに、「職業的な責任感」があるでしょう。
もし、私が、この町の町長さんであれば、幾ら死にたくとも、いま自分だけが死んで逃げるのは無責任だから、自分の気持などおいといて、いまはひたすら頑張るでしょう。職務を果たすでしょう。
では、会社も全て無くなって、その「職業的な責任感」を負う立場にない人の場合はどうでしょう。
その場合に残るのは、家族を(親を、妻・夫を、兄弟を、子供を)悲しませたくない、と云う思いでしょう。多くの方が、これで自殺を我慢しています。
しかし、今回の震災の場合、もし家族皆を失っており、自分だけが残っている方の場合には、この抑止力は働きません。
自身のこれまでの何年(何十年)かけて築いてきた財産、愛してきたペット、大事にしてた車、お気に入りの服、パソコン、CD、DVD…、それら全てを一気に失い、そして、それら全ての愛着・財産・宝が、一夜にして片付けなくてはならないゴミになると云うのは、(それだけでも)想像を絶するキツさでしょう。
また、未来の夢、将来の展望、これまで積み上げたきたものも、
すべて失われている方も、多いでしょう。
私がこれらの映像を見て思ったのは、
今回の事態では、自殺を選ぶことも良しとするべきだ、と云うことです。
「もう嫌になった」のなら、ひとり静かに消えていくことも、許してあげるべきだと思うのです。
また、被災地を捨て、他所に逃げる、他所で新たなる人生を始める選択も、
許してあげるべきだと思うのです。
それを「弱い」と云えるだけの強靭さは、私自身持っていません。
これから被災地の復興に取り組まなくてはなりません。
元気を出さなくてはなりません。
しかし、「もう良いです、疲れました、嫌になりました」と
静かに消えていこうとしている人が居るならば、いたわりの気持を持って、やさしい気持で、気がつかないふりをして見送ってあげるべきだな、と感じたのでした。
その絶望を本当には知らない私には、それ以上のことは言えない、言ってはいけないのだと理解したのでした。