他のものとは異質な〈言語ゲーム=教義〉は、それぞれが、その理論宇宙において秩序だっており、それぞれが、真/偽、合理/非合理、有意味/無意味、証拠や反証の条件・手順などについて、独自の基準や規範を内蔵しており、外部(他‐教義)からの批判を跳ね返す、閉じた体系をなしている。
教義(理論)と実践の体系で構築された、閉じられた小宇宙=瞑想宗教
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逃げると掴む 「避けること(嫌悪)」と「求めること(欲望)」
もしあなたがたった一つ、恐れのない状態だけを望み、そのために恐れから逃げ出したり、恐れがそこにあるのを認めなかったりするとします。
すると、そこから逃げ出すものがみなあなたを悩ませ続けるのと同じく、恐れはあなたに取り憑いてあなたを放さないでしょう。
逆に、あなたが欲しいものを追いかければ、それはいつまでたってもちょっとだけ手の届かないところにあるものです。
これは、精神的な探求においても同じです。
神を求めて神を追いかければ、神はいつも手の届かないところにいるでしょう。
追いかけるのを止め、神というあらゆる概念を捨て去れば、あなたは神の生きた存在に包まれるのです。
あなたの人生における混乱は、あなたがあなたに取り憑いたものを避けようとしている、あるいはあなたが欲しいものを掴もうと追いかけている、そのどちらかの結果です。
そのことに完全に気づいた瞬間、すべての混乱は消え去ります。
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あつじ屋日記 『ポケットの中のダイヤモンド』
System 7 Hinotori Video Clip
羽根の動きが、とても綺麗です。
鹿
他者、対話
他者との対話の目的とは、<自己異化>と<相互異化>を通じて、既存の「合理性」に裂け目を生じさせ、新たな<差異>を生じさせること、あるいは多元的な合理性が交錯する<場>を開くこと、それ自体にある。
その意味で、対話とは「相互批判」を通じて自己を写し出す<鏡>に他ならない。
いわば、我々は「終わりなき対話」のなかを生きているのであり、また、そのことを課せられた存在なのである。
無我表現研究会
無我表現研究会
こちらのサイト、本日(さきほど)、初めて存在を知り、記事を少しずつ読み進めているのですが、非常に面白い(良い)、と感じています。
この代表者の方が『悟り系で行こう!』なら、私の方は『気づき系で行こう!』ですね。
……
たとえば、これら。 面白いです。
自己浄化の方法と心身脱落について
ダンテス・ダイジ論
クリシュナムルティ論