死、生、愛、行為

この数ヶ月間で、とくに自分で探してではなく、何となく流れと成り行きの軽い気持ちで観てみたら、すごく響く作品だったという映画と漫画が一つずつあって、今日はそれについて書いてみたいと思います。

一つは、

『残酷で異常』(字幕版)

と云う映画。

もう一つは、

『走馬灯株式会社』 – Wikipedia

と云う日本の漫画です。

この二つの作品に共通するのは、既に取り返しのつかない、指し迫った状況― 自分の死― に直面した人間が、死から照らし返して自分の人生(生)の意味を考える・知る。死からの逆照射による自分の人生の(再)認識、と云う構造と、もう一つは、純粋でも無私でもない、自我に支配されたみじめでちっぽけな個人が、それでも、自分の人生の終局に際し、自分が愛していると思っていた(思ってきた)相手に、自分にできる最善のことを為そうと努力する。愛を行為化し、死んでいこうとする。その場合の「愛」とは、自分の欲求・欲望・希望・喜びではなく、相手の側の喜び・幸せを実現しようとする、そのことによって、結果、生物としての自分の本性に反した、自分が最もしたくない、最も苦しい行為を選ぶ、と云う展開にあります。

・死から逆照射された生の認識
・愛の行為化

また、まず「自分の人生を自分の視点から内的に振り返る(再経験する)」
次に、その同じ出来事を「関係する、相手の視点から(相手の視点から録画されたカメラの映像によって、再経験する」という構造が、こちらで行っている集中内観(吉本内観)、それによって起こる認識の転換の構造と場面そのもので、そのことにも、とても驚きました。
特に、『残酷で異常』の後半のある場面は、「これって、まるまる内観じゃん!」と叫びたくなるくらい、それ、そのもので、よく脚本と映像化をできたものだと関心しました。

内観
・自分の視点から人生を振り返る
・相手の視点から人生を振り返る
そのことによる過去のオーダーの組み換え・認識の転換

興味ある方は、ぜひ御覧ください。

また、少し似た味わいを持つ作品として、死役所 – Wikipediaと云う漫画も、オススメできると感じました。独特の味わいを持つ作品で、色々考えさせられます。