もしも、あなたにこうした感情の重なりを最後まで徹底的に経験する意思があれば、あなたは最終的には底なしの深淵に見えるところに辿り着きます。
この深淵は、無、空虚、無名と理性が認識するものです。
これは非常に重要な瞬間です。
なぜなら、完全に何ものでもなく、誰でもないことを進んで受け入れるということは、自由になることを積極的に受け入れるということだからです。
何層にも重なった様々な感情はすべて、無の経験、すなわちあなたが自分だと思っているものの死に対する防衛手段です。
いったんその防衛手段が崩れ、扉が開いてしまうと、恐れていた無と完全に向き合うことができます。
この対峙こそ真実の自己探求によってもたらせれる啓示であり、それによってあなたの心の真ん中にずっと隠されていた真実という秘密の宝石が露にされます。
見つかったダイヤモンド、それはあなたです。