どなたかがクリシュナムルティについて書かれた文章が印象的だったので紹介してします。確か、2chにあるクリシュナムルティ関係のスレッドで採集したのだと思います。(霊基)
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山に登っている人がいます。
頂上に立つ人がいます。
登山者が、頂上の人に「あなたには世界はどう見えますか」と聞きます。
頂上の人は「世界は広く、美しい」と答えるでしょう。
ところが、じめじめとした森の中を歩いている登山者の耳には、
それは「抽象的な理想論」に聞こえます。
少なくとも、私の目の前の混乱を解決してはくれないではないか?
世界のどこがそんなに美しいというのか?
・・・そうした気分になるでしょう。
目に見えている景色が違うのですから、伝わるわけがないのです。
頂上の人は、結局のところ、頂上からの景色は、頂上に立たなければ分からないことを知っています。Kは随所でその意味のことを書いています。
Kもまぎらわしいことを云わず、「それは説くことはできません。ただ登りなさい(自分に何が起こっているかを見つめ、理解しなさい)」と云い続けてくれればいいのですが、、、
時々、ふっと答えてしまうのでしょうね。
彼にとっては区別がないので、見解を聞かれたら答えるのは自然なことなのですが、それはKから見た景色について語っているのであって、私達がその景色からKに同化することはできません。
Kの境涯を知りたければ、同じ場所に立たなければならず、そのためには見つめ、理解することです。