私は、瞑想の、気づき→洞察(認識の転換)へと進む道筋は、「意識の活元運動(自働運動)」なのだ、と認識しているのですが、そのことを上手く言語化、文章化するには至っておりません。
しばらく前に、こちらの文章を読んで、細かな部分では違いはありつつも、おそらく自分の言いたいことと同質のことを書かれているんだろうな、と感じました。
心の活元運動
しかし、カラダにおいても、そしてココロにおいても、質(純度)の高い、活元が起こり、そして、それを維持(継続)するのは、難しい。
脳は、即、その未知なるもの(クリシュナムルティ風に言えば、unknown)を、パターン化(既知なるもの化、known化)してしまう。
三回、同じ動きを繰り返せば、脳は、その新しい動きを、即パターンとして(知っているもの)として認識してしまうので。