私に基づいた修行と、私を明け渡す修行

強いて解脱(開放)を起こすことはできません。
それは「我」にとらわれた行為であり、自意識過剰な修行者です。
本当の瞑想は瞑想者が死んだときに始まります。
どこかに行こうとしているとき、ブッダになろうとしているとき、涅槃を得ようとしているとき、瞑想者はまだ生きています。
最初はそれが自然ではあります。
もちろん、あなたは目的を達したいのであり、そうでなければ、そもそも修行など始めたりはしません。
しかし、時を経るうちにおのずから、そのような目標も概念にすぎないのであり、かえってそれが苦しみの元となることを理解するようになります。
修行が進むにつれて、観察以外には何もないといった、対象への明け渡しが生じてきます。
  『呼吸による癒し』P.99