プラトンはプラトン哲学をつくろうとしたのではないし、カントはカント哲学をつくろうといていたのではない。
むしろ、あるがままの世界そのものを徹底的に素直に、どんな個性も独自性もなしに、見極めようとしただけだろう。
はじめから自分独自の思想を打ち出そうなんて気は全くなかったに違いない。
結果としては(他の人からみれば)そこに極めて独自な個性的な世界の「見方」ができてしまったとしても。
この逆転を理解しない人たちには、彼らがはじめから自分の思想をつくろうとしていたかのように見えてしまうのだけれど。