自分との和解(自己受容)

「お前は、お兄ちゃんとちごうて(違って)、要領がええほうじゃないけん、コツコツ努力せえ」
幼いころ、よく父と母に言われた言葉でした。
確かに3つ上の兄は、スポーツ万能で、ほとんど勉強しなくても、学校の成績もよい人でした。
おまけに、ユーモアのセンスも抜群で、学校では人気者でもありました。
それに比べて、私は、運動音痴で、モノ覚えも悪く、いわゆる「要領の悪い」人間でした。
そんな私を両親は、馬鹿にすることもなく、個性の違いとして、「コツコツ努力する」という活路を示してくれたことが今となっては、あり難く思うばかりです。
当時の私は、当然、そんな風に思えるはずもなく、圧倒的な劣等感を抱きながら、「コツコツ努力をする」ということにしがみついた人生を歩み始めました。
夏休みの宿題といえば、ギリギリになってやる代名詞のようなものですが、私は小学校2年生の時から、高校を卒業するまで、7月中に終わらせていました。
小学校4年生の時には、計算ドリルを2日くらいで終わらせた結果、中指に大きなペンだこが出来てしまい、それは今も残っています。
「コツコツ努力する」という『生き残り戦略』は、数々の「勝利」を創り出してくれましたが、「勝って当たり前」というぐらい努力するので、勝利の喜びというより、『予定通り』勝利を手に入れられてホッとするという感じでした。
それだけでなく、要領よく結果を残す人に対する強烈な劣等感と、要領だけでなんとかしようとする姿勢への嫌悪感。
そして、要領がいい人が本気を出したら、簡単に自分は追い抜かれてしまうに違いないという、強烈な不安を長い間、抱えていました。
そんな私を見て、大学時代の友人が言ってくれたことがありました。
彼は、二浪して私と同じ大学に入っていたので、私よりも二つ年上でしたが、底抜けに優しい性格で、男女に関わらず慕われていました。
その彼が私に言ったことは、
「中土井は、俺と同じで、積み木をガンガン積み上げるように、すぐに高い結果を残せるような、要領よくやれるタイプとちゃうと思うねん。砂場の砂で山を作るように積み上げて行くタイプやから、なかなか高うなれへん。でもな、積み木と違って、土台がしっかりしている分、そこまで積み上げた分は、なかなか崩れへんで。積木みたいに簡単に、積み上げた分は、すぐ崩れてまうねん」
という言葉でした。
今から思うと、大学生とは思えない含蓄に満ちた言葉で、二浪という経験が、そこまでの言葉をいわしめるだけの深みを創り出していたのかなと思います。
その言葉を聴いた時、心の底から救われた感じがして、その言葉を支えに、大学時代以降も過ごしたと言っても過言ではありません。
その彼は、弁護士を目指していましたが、その後も砂の山を築くように、司法試験に落ち続け、10年目に見事合格し、今は大阪で弁護士として活躍しています。きっと、誰よりも人の失敗に対して寛容で、人の痛みが分かる弁護士として、周りの方から絶大なる信頼を得ているのではないかと思います。
私の方はといえば、社会に出てから才能と要領のよさに恵まれた人達に囲まれて、辛酸をなめ続け、絶望の縁にまで追いやられたという感じでした。
今となっては、才能というより、日々の積み上げが大切な仕事に出逢うことが出来、自分の特性にあった仕事が世の中に存在していてよかったなと痛感しております。
ところが、長年染み付いた「コツコツ努力しておかないと、後で痛い目にあう」という感覚は、簡単にぬぐえるものでもなく、どれだけ結果を残そうと、焦燥感は常に存在しているというあり方をしておりました。
そんな中、ちょうど一年前、家族で北海道に来た時に、レンタカーを運転していながら、ラジオから流れるある曲を聴きました。
それは、誰もが知る「ウサギとカメ」の童謡です。
この曲を聴いている時、「自分は、まさにこのカメだった」と思いました。
おまけに、ただ熱心に進んでいるカメというわけではなく、「いつか、ウサギに追い越されるだろう」という不安を抱えながら、自分に休憩を与えることさえ出来ないカメだったのです。
そう思えた瞬間、「よくやってきたな」と自分で、自分をいたわるような、慰めるような声が内側から湧き上がってきました。
車の運転中にも関わらず、涙がわっと溢れて来て、涙をこらえながらも、自分の胸の奥が温かさに満ち、開いていくような感覚が得られました。
そして、生まれて初めて、「まあ、カメでもいいか」と思えたのです。
今も、目先のことが思うように上手くいかなかったり、何もしていない手持無沙汰な時間があると、「なんとかしなきゃ」という感覚に襲われますが、「それは、それでよしとしよう」と思えるようになっています。
ダメな自分、気に入らない自分は、どんな人の中にも何かしらあるのではないかと、最近、つくづく思います。
それは、たとえ、要領の良い人であったとしても。
それを「右利き」、「左利き」のように、自分の特性として受け入れられることができたら、自分や人に優しくなれるのかなと感じています。
そして、それが、言葉で言うほど、簡単に出来ないのも人間らしいんだなとも思います。
(文責:中土井)
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