動かないものであったはずの大地がこれだけ振動し、
外なるものの脆さ、儚さを私たちは思い知らされました。
では、自分のうちの決して失われることのない宝(財産)は何処にあるか。
何が最後の拠り所なのか。
それは、気づきのなかにしかありません。
なぜなら、気づきは、生き物のしての人間に備え付けられた、
ギリギリ状態、限界の危機的状況を生きのびるための最後の起動プログラムであるからです。
「緊急時脱出生存」のための「ハタラキ」であるからです。
それが十全に働けば、生物としての貴方の心と身体は、生き延びれます。
瞑想は、緊急時に役に立たないものではありません。
どうしようもない緊急時に、最後に働いてくれるのが「気づき」です。
それが生死を分けます。
目の前の現象に、適切に、完全に対応すること、
頭で考えるのではなく、心身統合された全体として、適切に反応し、一つずつこなしていく事。
自分の中の、奥の、マグマのような感情は、気づきによって、まず「撫で、さすってやること」
今は、全面的に、それに付き合っている余裕がないのなら、
しばらくは、自分の胸の中に押し込み、沈め、待ってもらうこと。
事態が一区切りついて落ち着いてから、ゆっくりと眼を向けてあげるからね、と
今は、許してもらうこと。
そして、自分の限界まで、今できる(やるべきこと)をこなすこと。
大いなるものに抱かれ この道を歩く