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研修の後片付けと雪下ろしの為、宮地に行くも、突風と雪ですごい天気となる。
三十分から一時間ごとに烈しい雪と快晴が繰り返されると云う、これまで経験したことがない天気。
夜中も、煌々と光る月と白一面の降雪を交互に繰り返す。
月に照らされた雪景色が何とも美しい。
良い正月休みが過ごせました。
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http://youtu.be/Ty1BIEfR4nM
http://youtu.be/QmpJPWCpmec
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これは、3日の朝。快晴
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3日のお昼は家族の新年会です、
両親、兄弟、妹の旦那さんお二人、甥、姪が集まり、食事します。

辻雙明著 『禅の道をたどり来て』より、古川堯道老師の言葉

「禅の事というものは、本当に解っていない者でも、結構、ごまかして書けるものだ。
しかし、また、その片言隻語を聞けば、それで、ちゃんと、その人の境涯がわかる」
「見性するときは獅子のように烈しく、悟後の修行は象のようにユッタリとやらなくては駄目だ」
「初關(最初の公案)をいい加減に透ると、後がねちゃついて駄目だ。漆の桶へ手を突っ込んだようなものだ」
「いくら参禅し、いくら公案の数を数えても、大安心を得なくては…」
「歴参(いろいろな師家を処を参禅して廻ること)をするには、師家を見る眼がなくては…」
「歴参しても、それぞれの師家の長所を学ばなくては何にもならない。師家の短所を見ていては、幾ら歴参しても駄目だ」
「世間の評判と云うのは分からんものだ。実際に行ってみると、評判で聞いていたのと、まるで違う人がいる」
「どんな公案でも、結局は、絶対か、相対か、絶対と相対が無碍円融した処かだ」
「悟ったら、悟りのサの字もない処まで修行しなくては…」
「本当に修行し抜けば、その人その人の本性に帰るものだ。酒の好きなものは酒、女の好きなものは女、と云う風にな」
あるとき、無門関の第十九則「平常是道」に対する無門和尚の評唱のなかの「趙州たとえ悟り去るも、更に参ずること三十年にして始めて得てん」の「三十年」ということについて質問すると、堯道老師は、「三十年とは一生のことだ。修行は一生のことだ」と言われた。

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草払い作業、今日で終了しました。
昼間、農園母屋のベランダから、ちょうど「はやぶさ2」の打ち上げが見えると云うことで、仕事始めを遅らせて見物。
綺麗に見えました。
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http://youtu.be/YunzYup-zlE
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11/29

今朝起きて撮ったもの。良い天気です。
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