『この世で一番おもしろいミクロ経済学――誰もが「合理的な人間」になれるかもしれない16講』
より分かりやすいタイトルをつけるなら『マンガで読む ミクロ経済学入門』と云う感じでしょうか。
程よいテンポでジョーク・ギャクが織り込まれ、最初の5ページくらいで引き込まれます。
最後まで、たるむことなくテンポよく進みます。
楽しく読めました。オススメです。
投稿者: 霊基
身体と他者
ある方の書かれた文章
……
僕は民間療法のマッサージを15年プロとしておこなって来ていますが、その観点から言えば、私達がどのように自分の身体に接するかと、私達がどのようにお互いに接するかは同じと言えます。
また、自分の身体に心から耳を傾ける人は、相手の声にもちゃんと耳を傾けます。
もし自分の身体を本当に心から大切にするなら、お互いを尊重しあえるのです。
ただし、大切に扱うことと、わがままを通すこと(あるいは甘やかすこと)は似て非なることですよね。
自分自身に嘘をつき、自分を誠実に扱わない所から、病は起こるし、そして、相手との不調和も起こるのではないでしょうか。
そして、自分自身の身体と上手くコミュニケーションが取る為には、嘘は通用しませんし、心から行うという誠実さがなければ言うことを聞いてくれません。
一方的な強要は後に必ず、障害をもたらします。
まず、身体の声(相手の声)を心から聞こうとすること。
それが実はコミュニケーションに一番大切なことなのではないかと僕は思います。
文章のリズムと内容― 美文・名文
良い文章とは、まず読むに分かりやすい(通じやすい)文章であると思います。
それは、つまり、作者(書いた人)の言いたい・伝えたいことが、読者(読んでいる人)に誤解無く、速やかに届く、悩まないで理解できる文章であり、そして、それプラス、使われている漢字・ことば自体の趣味の良さ、リズムの美しさ、流れの自然さ、論理展開の明快さ、句読点の数・位置の適切さ、漢字とひらがなのバランス・配分の良さ、などが感じられるとき、人はそれに心地良さを感じ、美文・名文と呼ぶのでしょう。
あまり厳密な話ではないのですが、私は文章のもつリズムを整える、強調する、あるいは損なわないように句点を打ちます。
日本語には波がうねるようなリズムがありますね。
英語の飛び跳ねるようなリズムとは対照的なものです。
このリズムを生かした文章は読んでいて心地よいものです。
そのリズムにメリハリをつけるものが句点である、と私は考えています。
書いた文章を音読してみて、美しい旋律が奏でられるように、ひとつひとつ句点を打っていきます。
音楽での休符のようなものですかね。
これは、あるサイトで、「良い文章とは」と云うテーマでのやり取りのなかで目にした文章ですが、この文章自体が、句読点の上手な使い方と心地良いリズムを体現している文章で、読んでいて、論旨を理解する際の楽さ(分かり易さ)と、何か独特の清涼感(涼やかな風に吹かれているような、あるいは心地良い音楽を聴いているときのような)が身体を(頭を)通り抜けるのを感じます。
少しずつでも、まねび、身につけたい文章です。
「シンプルで分かりやすい、かつ美しさを持った文章」
私が、「良い文章を書くと云うのは、何と難しいことかな~」「自分は、なんと文章が書けない人間なのかな~」と、初めて強く感じたのは、十年以上前に「クリシュナムルティ読解」を作っていたときでした。
そして、同時に「もっと美しい、分かりやすい、論理的に明快な文章を書けるようになりたい」と望んだものでした。
その気持ちは今も続いていて、文章を書いていて悩むことは多いです。
これは、ウェブサイトのデザインも同じで、良いデザインとは、まず第一に、読んで分かりやすい― 初めての訪問者が、そのサイトの商品が何で、どういう特徴、値段、利点を持っているのかが速やかに分かる― のが良いデザインで、その理解を助けるために配色や画像があると考えます。
なので、文章主体のサイトの場合、文字の大きさや文字間隔の設定は非常に重要だと思います。
フェヒナーの法則
宗教・芸術・科学
すべての宗教とアートと科学は、同じ一本の木の枝である。
それらにかける情熱全ては、人の命を高尚にし、単なる肉体的な存在以上のものにし、個々人を自由へと導く。
アルバート・アインシュタイン
『真幸くあらば』
昨晩読み始めて、合間を置きながら、いま読み終わりました。
万人に薦められるタイプの作品ではないと思いますが、私は読んで良かったと感じました。
『真幸くあらば』 (講談社文庫) 小嵐 九八郎