生物学的文明論

これも、図書館で借りて読んだ本。
著者は、これまで『ゾウの時間 ネズミの時間』『時間』『歌う生物学』『サンゴとサンゴ礁のはなし』『世界平和はナマコとともに』などを書いてこられた方で(『ゾウの時間 ネズミの時間』は有名な本なので、私も過去に読んだことがある)、この本では、それら全てのこれまでの研究を全て詰め込んだ感じで、読みやすくはあるが、学者生命全てを出し切った渾身の作だとの印象を受けた。
目からウロコの印象的なトピックを連発して、最初から最後まで飽きさせない。
内容としては、『生物学的文明論』のタイトル通り、「生物学者の視点からした文明論・人間論・文化論」と云う感じ。
色々なことを考えるヒントに満ちていて、時間をおいて再読したいと感じさせられた本でした。
生物学的文明論 (新潮新書)

Amazonの読者レビューも、それぞれ面白いです。
◆ レビューのひとつ。
自然界の動物は心臓が15億拍打つと死ぬが、ここから人間の寿命を逆算すると41歳ということになり、その先の人生は医療などによって支えられた人工的な人生である。これは、生殖活動が終わった者は消え去るべしという自然界の掟とも符合する。しかし、だからと言って老人に生きる意味がないということではなく、「次世代のために働くこと」を広い意味での生殖活動とみなし、老人は若者の子育てを支援しながら、若い世代の足を引っ張らないように生きようという主張だ。ここまで潔くするのは難しいしお年寄りには酷な考え方だと思うが、しかし41歳から先の人生はおまけの人生だと割り切ってみると、そこから違う世界が広がりそうな気がするのも事実だ。

生物学的文明論 – 基本読書
『ゾウの時間ネズミの時間』と『生物学的文明論』をのんびり読んだ: 仮寓ダークマター

はじめに
第一章 サンゴ礁とリサイクル
豊かな生物相/美しい海は貧栄養/褐虫藻との共生/究極の楽々生活/石造りの巨大マンション/褐虫藻への配慮/効率よい栄養素のリサイクル/不要なものを活用しあう/粘液――みんなの食べもの
第二章 サンゴ礁と共生
サンゴガニ――居候の恩返し/ハゼは番犬――高い捕食圧ゆえのハゼとエビの密接な協力/掃除共生/イソギンチャクとクマノミ――相利共生で共存共栄
第三章 生物多様性と生態系
サンゴ礁は危機/一日一〇〇種が絶滅/生態系による四つのサービス/生態系サービスの価格/生態系は自分自身の一部/生物多様性と南北問題/豊かさの転換/歴史あるものを大切に/自然も私を見つめている
第四章 生物と水の関係
水問題/なぜ生命は海で生まれたか/水素結合と水/水は安定した環境を提供する/水分と活発さの相関関係/誕生から老化までの水分変化/水と運動/静水系
第五章 生物の形と意味
「生物は円柱形である」/平たい理由/円柱形は強い/球から円柱形への進化/海から陸へ、進化する円柱形/WHYとHOWのあいだ
第六章 生物のデザインと技術
生物と人工物の違い/生物は材料が活発/ナマコの皮は頭がよい/生物はやわらかい/文明は硬い/四角い煙突の論理/人や環境にやさしい技術
第七章 生物のサイズとエネルギー
長さ一億倍、重さ一兆倍の一〇億倍/動物のスケーリング/酸素を使って食物を「燃やして」エネルギーを得る/基礎代謝率のアロメトリー/四分の三乗則/ホヤに見る組織のサイズと構成員の活動度/国家予算もアロメトリー式で/恒温動物は忙しく、むなしい?/食料生産装置としての変温動物
第八章 生物の時間と絶対時間
感じる時間と絶対時間/時間の四分の一乗則/ゾウの時間・ネズミの時間/心臓時計は一五億回で止まる/生涯エネルギーは三〇億ジュール/F1ネズミvsファミリーカーゾウ/回る時間と真っ直ぐな時間/式年遷宮に見る生命観/時間の回転とエネルギー/生命は死ぬけれど死なない
第九章 「時間環境」という環境問題
「便利」は速くできること/現代人は超高速時間動物・恒環境動物/ビジネスとは時間の操作である/時間のギャップが生み出す疲労感/時間を環境問題としてとらえる/省エネのすすめ/時間をデザインする/子孫も環境も「私」の一部
第十章 ヒトの寿命と人間の寿命
ヒトの寿命は四〇歳/還暦過ぎは人工生命体/老人の時間は早くたつ/「死なば多くの実を結ぶべし」/時間への欲望/老いの生き方/広い意味での生殖活動/利己的遺伝子の支配から逃れる/「一身にして二生を経る」
第十一章 ナマコの教訓
脳みそか素粒子か/アンチ脳みそ中心主義/瀬底島での不思議な出会い/砂を噛む人生/ナマコの皮は硬さを変える/硬さ変化の意味/皮は省エネ/頭はいいが脳がない/狭くなった地球上で
おわりに
本川達雄『生物学的文明論』|立ち読み|新潮社

家作りの参考書

『ホームワーク』 ロイド・カーン
『シェルター』 ロイド カーン
『セルフビルド―家をつくる自由』
『廃材王国』
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人の生活の中で不可欠な「水」と「火」が、近代化の中で、その源流の感覚が人には見えず、お金で買うものになってしまっている。しかし、その水と火は、人間の精神性に重要な役割を果たしている。と、このアトリエの生活のなかで感じ始めている。
神道では「禊(みそぎ)」という概念があり、仏教においては「護摩(ごま)を焚く」といい、火を重要な宗教行事に使う。日常で沢水を使い、森からの木を焚いて炊事をしていると、そんな祈りの感覚さえ湧いてくるのだった。
水(川のみなもと)も火(薪)も、森からやってくる。日本は森の国であり、僕らの文化の源泉が森にあることを、いまこのアトリエであらためて想う。

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家の中で火を焚く(家の中で火を飼う、火を飼いならす、手なずける)
竪穴式住居 – Wikipedia
ティピー – Wikipedia
地、水、火、風、(と空)
人間が、川の流れを作る→水道
・火と水
・土と石と云う素材
・入れると出す 摂食と排泄 台所(調理)とトイレ(後始末)
・食料の調達(畑、山、海、狩)と、買うこと(スーパーで、ネットで、火とから直接、物々交換)
・お風呂、洗濯(洗う、干す)
・活動と休息 寝る ベット、布団

プラズマ兵器

「三井化学の爆破事故、プラズマ兵器が使われた可能性は否定できない」 前広島県議会議員・梶川ゆきこ
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1708844.html
この方、震災の時も何か言ってた方ですよね。
こういう方が、過去に議員になれてたと云う事実が、まず何よりも凄いですよね。

4/21 腰の休息

一日、腰を休ませながら、パソコンで作業。
思えば、屋久島を出る前の最後の50日間は一日も休みが無く、研修、引越しの仕度、その合間にハードな肉体労働のアルバイトと、体を酷使した。
また、屋久島を発ってからの10日間も、慌しい日々であった。
その末の「ピキーン、ぎっくり」なので、無理もない話と言える。
この二日間は、カラダの痛みとじっくり付き合い、ゆっくりと労わっているところ。
無理をかけると、気づきの弱い部分にシワ寄せがいき、そこが壊れるのは、誰の身体も同じ。
しばらく前に(屋久島に居るころに)偶感として書き留めた文章がある。
それを思い出し、探してみた。
◆ からだを大切にすると云うこと
このカラダ(身体・肉体)は、(私・意識が)神様から与えられた乗り物(専用ロボット)であるということ。
それがあることによって、始めて身体的(場所)移動、機動が可能となる。
その、自分持ちの最高の機械、最高級のマシンを、粗末に扱うなど、とんでもないことである。
とにかく労わり、大切にし、そして、ケガの可能性のあることなど慎重に避け、
この「愛機」を、長く、丁寧に、愛と感謝を込めて、使うべきである。
つまり、どんな人も、ひとつは、自分向けに開発・調整・培養された、10億円かけても作れないような名機をひとつ与えられて生まれてくるということである。
それは、どんな高級車を所持しているよりも誇れる(有り難い)ことである。
もし、「自然は(宇宙は、神は、進化は)、これだけ精巧に、滑らかに動く機械(マシーン)を作り上げたのだ!」と云う驚きの感覚を持てないならば、それは「馴れ」によって、見えて当然の(然るべき)真実が見えなくなっている嘆くべき状態である。
……
昨晩、しばらく前に購入して途中まで読んでいた、『心と身体をつなぐトラウマ・セラピー』を、ざっと読み終える。
これまで、自身の研修コースで、トラウマも扱えるのではないか、と云う感触は持っていたが、この本を読んで、やはり、そうだよね、と云う感覚を強める。
この手の問題に興味ある方にはオススメでできる本。
ただし、全体として記述がくどく、要点をもっと纏めれば、半分の厚さに出来ると思う。
トラウマセラピーで再現された過去の出来事の記憶は、特に事実である必要性はない(つまり、多くは事実そのものではなく、心(脳)が自身を納得させる為に再構成した神話の如きものである)。
が、それでも構わない、問題は、治癒的効果があるかどうかである、と云う論点には同意できる。
これは、多くの催眠セラピー、過去生セラピーなどにも共通して言えることで、それらの再現された記憶(過去生)は、自分(の脳)が作り上げた、現在の自分の抱えている問題、境遇、容姿などに関して、最も自分に納得がいく説明・お話であり、それが本当であるかどうかは問題でない。
ただ、その本人にとって「本当っぽく」あればいいだけで、それを信じられたら、治癒的効果を持つ。
故に、そのセラピーに劇的効果があったからと言って、その思い出した記憶が本当であることの証拠には、全くならない。
それは自分の心が自分のために作り上げた、最も本当らしい神話(自分が主人公の映画の脚本)の如きものであるからだ。
このことに関して、F・K・デックの「追憶売ります」と云う短編を思い出す。
これは、映画『トータルリコール』の原作になった作品だが、(特に落ちが)映画よりも何倍もシュールで面白い。
その他、この本には幾つか面白い論点があったが、私にとっては「気づき系の瞑想とボディワークと組み合わせれば、トラウマ問題に関して、有効な働きかけができる」との確信を強める内容であった。
また、いま見ていたら、『トラウマをヨーガで克服する』もあるようです。面白そうなアプローチではありますね。有効だろうと思います。
しばらく前に、何かの本に出ていた言葉。
「彼はそこで、想起するように認識し、回想するように理解した」
「そこで」の「そこ」とは、「瞑想意識に於いては」と理解。
「世界は絶対的に完全である― 世界に対する貴方の不満や、世界を変えようとする貴方の努力も含めて」 ラム・ダス
これも、いい言葉。
後半部分がミソ。

近況報告

4月10日
仲の良かった友人に送ってもらい、朝8時20分発の貨物船ハイビスカスにて、島を離れる。
ハイビスカスは、最も安い交通経路で、片道3200円。
しかし、到着が谷山港なので、その後のつなぎが結構大変。
その日は、鹿児島県・阿久根市の、研修者の方の御宅に。
その方のお母さんは、マクロ系の料理の先生で、とても細やかなもてなしを受ける。
阿久根名物、生うに丼をいただく。驚くほど美味。これが、生の(本物の)ウニの味なのか、と驚く。
翌日、政治、教育などの話で盛り上がりながら駅まで送っていただく。
11日
翌日は、福岡で、またまた研修者の方お二人と会い、そのまま泊めていただく。
楽しいもてなしを受け、かなり盛り上がる。
12日
午後、福岡を出て、夜に広島の実家到着。
13日
宮島の土地へ。
14日
山口県の鹿野へ。
研修者の方に案内して頂いて、研修所の移転先候補地として、リフォーム済みの古民家を見させていただく。
その後、近くの臨済宗のお寺の庭(重森三玲作)を見たり、今が時期のしだれ桜を見たり、と鹿野の町を案内していただきながら、瞑想のこと、芸術表現のことなど、色々とオシャベリする。
15日
「5月1日より、宮島で研修再開」と腹が決まり、父親と一緒に宮島に行き、支度を始める。
これから半月で、何とか研修が出来るところまで設備を整えるべく、頑張ります!