10日間の心の手術

それが、内観であれ、ヴィパッサナーであれ、ボディワークであれ、
リトリートとはつまり大掛かりな心の手術であり、
そのことによって、積年抱えていた病・痛み・不具合が解消される。
それだけの手術に臨むのだから、それなりの覚悟は必要で、
まず、入院前の先生の注意(体調管理など)をキチンと守ること。
また、手術が始まってしまったら、痛いからといって途中で止めることはできないことの理解。
開腹した状態で、「想像してたより痛いから、このままウチに帰らせてください」と言われて、「ああ、そうですか」と言って帰らせてくれるお医者さんは居ないでしょう。
やり始めたら、最後までやる、と云う決意が必要です。
内観、ボディワーク、瞑想は、病院に喩えれば、それぞれの違いに似ています。
内科、皮膚科、歯科など。
しかし、その方の抱える問題を、総合的に解決しようとする点では同じです。
そして、気づきの手術は、ただ一つの道具、「気づき」というレーザーメスを使って行ないます。 その道具を自分の心のなかに作り上げます。
「この心の痛み・苦しみから、どうにか解放されたい、楽になりたい。
そのためには、自分にできる限りでの努力は厭わない」と云う気持ちが定かであれば、研修はうまくいきます。
テクニック ・技術が人を変えるのではありません。
求心のみが、極限まで高まった「どうにかしたい、どうにかなりたい」と云う心のみが、それ自体を変容させます。
そのためのエネルギーの流れ道として、技法・技術があります。

気づきのトレーニング

気づきは光に似て、ひかり(気づき)があれば、闇(見えてなさ)は消える。
はっきりと見えれば、見えないが故に怖れ、こんがらがっていた事実誤認の状態は終わり、良くも悪くも事実が白日の下に曝される。
闇を無くすためにできることは光をもたらすことだけであり、
その光さえあれば、すべては明らかになり、消える。
その気づき-意識の光の強さに耐えられるよう脳を訓練すること(改造すること)、
その光の強さに眼が眩んでしまわないよう徐々に眼を慣らしていくことが、
気づきの修行であり、
その集中的なトレーニングを、気づきの耐久レ-スであるリトリートで行なう。
それは、無い気づきを作るためではなく、
既にある、遍満し、充溢している気づきを脳が感受 ・認識 ・使用できるよう
調整(チューニング)するための訓練である。

気づきの言葉

まわり道は無駄ではなかった。
考えてみれば、最短距離を行くなんて、凡そつまらない生き方ではないか。

「よく言う」ことは大変むつかしいことである。
しかし、「よく黙する」ことは、もっとむつかしいことなのである。
その沈黙には、百万言に勝る力がなければならない。
「維摩の一黙、雷の如し」と言われた。

どうにもならない生徒を与えられたら、教師は、これこそ、我をして一人前の教師にして下さる菩薩の化身なりと合掌礼拝して受け取るべきである。

自分の弱さ(愚かさ、つまらなさ)に徹して、はじめて強くなれる。
強がりほど弱いものはない。

「初心」というものは、すがすがしく尊いものであるが、
やがてその道のベテランになるにつれて「初心」を失いつつある姿は、実に醜いものである。
その醜さは他人には分かるが、自ら気づくことは至難である。

自分が罪深き人間であり「地獄一定」なることを、真の宗教者は知っている。

ただ一つのものを見つめておればいい。
そして、まっすぐに歩くのだ。 よそ見をすると危ない。

苦難は、まともに受けて起つのがよい。
逃れようという卑怯な心を生じてはならない。
逃れようというのは、自分が可愛いからである。
「己を愛するは良からぬことなり」と南洲も説いている。

どんなにあがいても、どうにもならないときがある。
あがいている人間を救うために、神の大愛は働いているのであるが、
当の本人は、それに気がつかないで、苦しみ悲しんでいる。
これは人智の及び難い世界である。

「捨てる神あれば拾う神あり」というが、
本当に捨てられることは、本当に拾われることである。

両手を離せ。
放してしまえば、抱き取られる。
—–
上村秀雄 『歩むもの』抜粋

気づきの言葉

打ち込めば打ち込むほど自分の魂が浄化される―
元来、仕事とはそんなものであるが、
教師の場合、教え子を通して、その浄化作用が特に著しい。
尊く、且つ有り難い仕事である。

私の心さえ澄んでおれば、あらゆるものは善意に解釈できるのである。
わが一心を磨き澄ますことに全力を傾けねばならない。

教えるは学ぶの半ば― というよりは、教えること、即学ぶことである。
教師は生徒に教えつつ、実は学んでいるのである。
俸給を貰って、いつも勉強させて貰っている―
こんな有り難い仕事が他にあるであろうか。

シモーヌ・ヴェイユの言葉

純粋さとは、汚れをじっと見つめうる力である。 
苦痛や極度の疲労がこうじて、たましいの中にこれは果てしなく続くのではないかとの感じが生じるまでになったとき、その果てしなさを素直に受け入れ、愛しつつ、それをじっと見つめつづけるならば、人は、この世からもぎ離されて、永遠にいたる。 「重力と恩寵」
神を否定する人の方が、おそらくは神により近い。 「ノート」
神について考えようとするときに、何ひとつ捨てようとしない者は、自分の偶像の
ひとつに、神の名をつけているにすぎない。このことにはどんな例外もない。
神の恩寵は、しばしば不幸のさなかにおいてさえ、われわれに美を感じさせる。
そのとき、ひとがそれまで知っていた美よりももっと純粋な美が啓示されるのだ。 「超自然的認識」
外的な成功を得られないことを残念に思っていたのではなく、本当に偉大な人間だけがはいることのできる、真理の住む超越的なこの王国に接近することがどうしてもできないということを、くやしく思っていたのでした。真理のない人生を生きるよりは死ぬ方がよいと思っておりました。数ヶ月にわたる地獄のような心の苦しみを経たあとで、突然、しかも永遠に、いかなる人間であれ、たとえその天賦の才能がほとんど無にひとしい者であっても、もしその人間が真理を欲し、真理に達すべくたえず注意をこめて努力するならば、天才にだけ予約されているあの真理の王国にはいれるのだという確信を抱いたのです。たとえ才能がないために、外見的にはこの素質が人の目には見えないことがあっても、この人もまた、こうして一人の天才となるのです。 「神を待ちのぞむ」
さまざまとある正しい宗教の伝承は、すべて同一の真理の種々ことなった反映にすぎず、おそらくその貴重さはひとしいのです。ところがこのことが理解されていません。各人はこれらの伝承のひとつだけを生きており、他の伝承は外側からながめているからです。 「ある修道士への手紙」より
「シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil)の言葉」から

盤珪禅師

63歳、江戸の光林寺で百三十人と共に冬安居。この時、盤珪の弟子、逸山が悟る。
逸山、禅堂にて、豁然として機が転じることがあって、独参して言う。「私はこれまで師の言葉を信得して、師の言葉にだまされていました。今日は師の言葉に依らず、直に己事を識得しました。これも師の説法のおかげです。その心境は言葉にできません。」
盤珪、「言わなくても、わかっている。」
逸山、「師は、平常大悟ということはないとおっしゃるけれども、今日の私から見れば、人々自知する所なくては、法は手にはいることはできません。臨済は黄檗のもとで、三度仏法の大意を問うて、三度打たれたけれども、発明ありませんでした。しかし、大愚一言の下にて機を転じ『元来黄檗の仏法多子なし』と言ったのは、臨済の自知です。」
盤珪、「古人といえば、格別すぐれているように思うが、今人と何もかわることはない。臨済が機を転じたのは臨済の入所である。古今の参学者で、一回も入所がないということはない。しかし、そこに止まれば、少を得て足れりとする。その後、大親切のものでなければ、法眼円明は成就しがたい。」
逸山、「あえて尊命を疑うわけではありません。しかし、今私は、法においていささかも疑いありません。この上、何とも力のつけようがありません。」
盤珪、「疑いもなく問いもない境地に到ることはやさしい。法は甚深であり、智恵は甚深である。到れば到るほど深い。それゆえ私は、生涯一言の許可もしない。それが人のためである。」(『法語』六三、A119、B43)
現代人の禅 より
日本の禅とその歴史:その2
http://www.sets.ne.jp/~zenhomepage/nipponnzen.2.html
盤珪禅師説法を読む
http://www7a.biglobe.ne.jp/~chotto/zakkan/busshin/