瞬間瞬間の綱渡り

順境の人は感謝を知らず、逆境にもまれ苦しんだ人が感謝を知っている。
私たち凡人は痛い目に遭わなければ、人生で最も大切なものが見えないのである。

……

夜半目覚めて静かに思えば、私はよくもこれまで無事に生きてこられたものだと思う。
人目には平凡な人生に見えても、まことに危ない綱渡りの連続であった。
この綱渡りは、これからも命のある限りは続くであろう。

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朝、目を覚ましたら「ああ、ありがたいな、今日も自分をこの地上に生かせて下さるのか」と、まず感謝の祈りを捧げたい。

……

どこまで孤独寂寞に堪え得るかということが、指導者の資格を計る大切な尺度であろう。
「人を相手とせず、天を相手とせよ」といった南洲は、孤独沈痛の人であった。

『歩むもの』から

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生活の全体は一瞬一瞬にあります。
この一瞬一瞬が挑戦なのです。
それに不適切に出会うことが生における危機です。

クリシュナムルティ

脳から考える

『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二

瞑想、内観、ボディワークに関わる話や、自由意志に絡む話が次々繰り出されていて、前作『進化しすぎた脳』を超えて、更に面白いです。

『つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?』

Amazonの書評

インテリジェント・デザイン論に対する脳神経学者の反論
※ インテリジェント・デザイン論=知性ある設計者(神)によって生命が設計されたという説。
最後の最後に宗教が出てくるまで、著者の意図が読めず、散漫な印象が否めない。
脳にまつわるさまざまなトピックのうち、一見無関係な感覚と感情、記憶、愛、睡眠と夢を、なぜ取り上げたのかが、宗教の成り立ちを説明する8章で始めて明らかになるからだ。確かにこの8章は面白い。その8章から、脳に知的な設計者はいないという9章の結論につながってくる。

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』

この本は一般に、仏教系の瞑想の本として名前が上ってくることは少ないですが、実際の内容は、なかなか質の良い気づきの瞑想と反応系の瞑想の入門書です。

特徴としては、

1. マハーシ式、ゴエンカ式双方を均等に冷静に紹介していること。
2. ヴィパッサナー系の知覚力を研ぎ澄ます瞑想法と、イメ-ジを使ったお祈り的な瞑想法をバランス良く紹介し、位置づけていること。
3. そのすべてを「神を感じるための霊的修習」として位置づけていること。
などです。

沢山の瞑想法が紹介されているので、これを読んだだけで、たとえばマハ-シメソッドを正確に独習できるだけの情報は含まれて居ないのですが、色々なヒントが含まれた良書だと感じています。

一番の美点は、キリスト教の指導者でありながら他宗教の伝統に対してオープンであり、他宗教への敬意を忘れない態度にあると思います。
時々、思い出した様に眼を通している本です。

サダナへようこそ

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』

『東洋の瞑想とキリスト者の祈り』 アントニー・デ・メロ

気づきの言葉

「Magdaleneのひとりごと」から
http://magdaleneshio.blog88.fc2.com/blog-entry-223.html
http://magdaleneshio.blog88.fc2.com/blog-entry-180.html

「山登りを私は信じません。“登り”などないのです。
「私はこれだが、いずれそれになる」などないのです。
あるのはただ「これ」のみです。
「これ」を変えなさい―それがすべてです。」
との、クリシュナムルティの言葉と響きます。