真理は痛い、私にとって

いたい目にあうごとに、わたしは、自分のえりくびをつかまれて、真理のほうに向けられる。
真理は、痛い方角にある。
しかし、真理は、方角としてしか、わたしにはあたえられない。
思いちがいに思いちがいをついで、その方角に向うのだ。

『不定形の思想』P469

狂った水準器で建てた家

それは、

狂った水準器を使って建てられた家―

あるいは、

全てが体系だって重力方向をズラして建てられた家(トリックハウス)―

に住んでいるに近い。

* 水準器 = 縦方向なら「下げ振り」、横方向なら「水平器」

勿論、当人に、そんな自覚は無い。

生まれてからずっと、その家で暮らしていると、一歩外に出たときには、世界は傾いて見える。斜めって感じる。

その感覚は、いくら頭で理解していようと拭えない。


身体を、本質的に変える― 身体を制御しているソフトウェアを入れ変える― ことの難しさには、それと似通ったところがある。

また、新たに入れ替えたソフトウェアが、現実世界(リアリティ)に、より近いのか、より適合してるのか、の保証も無い。

狂った夢から目を覚ました、と云う、より深刻な夢もある。

狂った基準の世界から脱出することは、常に、繰り返し、難しい。