信念体系の外部の理解

我々自身の信念体系(教義、思想、理論)を使うことなく、他の信念体系を理解・評価することは不可能なことなのである。
われわれが何かを理解しよう(探求しよう)と試みるとき、そこには必ず、探求の対象自体が、われわれが使用する論理と多少の相違はあっても、基本的には同一の論理に従っているという想定が前提されている。
少なくともわれわれは、そのようになっていてほしいという希望をもっている。
パースの言葉(伊藤邦武編訳『連続性の哲学』,岩波文庫,254頁)

前世療法

だいぶ前に、ネット上のどこかで目にした文章。
上手いこと言うもんだ、と感心して取っていおいたもの。
……
前世療法
今まで受けた心理療法の中でカタルシス度は一位。
「前世=自分の過去のメタファー」、「前世療法=前世イメージ療法」だと思った。
自分で「自分専用の物語」を想像して、自分で感動する感じ。
自分専用だから当然感動する。

相対主義

他のものとは異質な〈言語ゲーム=教義〉は、それぞれが、その理論宇宙において秩序だっており、それぞれが、真/偽、合理/非合理、有意味/無意味、証拠や反証の条件・手順などについて、独自の基準や規範を内蔵しており、外部(他‐教義)からの批判を跳ね返す、閉じた体系をなしている。
教義(理論)と実践の体系で構築された、閉じられた小宇宙=瞑想宗教

逃げると掴む 「避けること(嫌悪)」と「求めること(欲望)」

もしあなたがたった一つ、恐れのない状態だけを望み、そのために恐れから逃げ出したり、恐れがそこにあるのを認めなかったりするとします。
すると、そこから逃げ出すものがみなあなたを悩ませ続けるのと同じく、恐れはあなたに取り憑いてあなたを放さないでしょう。
逆に、あなたが欲しいものを追いかければ、それはいつまでたってもちょっとだけ手の届かないところにあるものです。
これは、精神的な探求においても同じです。
神を求めて神を追いかければ、神はいつも手の届かないところにいるでしょう。
追いかけるのを止め、神というあらゆる概念を捨て去れば、あなたは神の生きた存在に包まれるのです。
あなたの人生における混乱は、あなたがあなたに取り憑いたものを避けようとしている、あるいはあなたが欲しいものを掴もうと追いかけている、そのどちらかの結果です。
そのことに完全に気づいた瞬間、すべての混乱は消え去ります。
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あつじ屋日記 『ポケットの中のダイヤモンド』