否定的な情報にも、触れる

そして、バランスをとる。

『人類はなぜUFOと遭遇するのか (文春文庫)』

『ミステリーサークル黙示録 (講座 超常現象を科学する)』

『ミステリーサークル・真実の最終解答』 パンタ笛吹

『輪廻体験―神話の検証 (Skeptic library (04))』

『メディア・バイアス あやしい健康情報とニセ科学 (光文社新書)』

『代替医療のトリック』

『検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定』

『環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態』

自分との和解(自己受容)

「お前は、お兄ちゃんとちごうて(違って)、要領がええほうじゃないけん、コツコツ努力せえ」
幼いころ、よく父と母に言われた言葉でした。
確かに3つ上の兄は、スポーツ万能で、ほとんど勉強しなくても、学校の成績もよい人でした。
おまけに、ユーモアのセンスも抜群で、学校では人気者でもありました。
それに比べて、私は、運動音痴で、モノ覚えも悪く、いわゆる「要領の悪い」人間でした。
そんな私を両親は、馬鹿にすることもなく、個性の違いとして、「コツコツ努力する」という活路を示してくれたことが今となっては、あり難く思うばかりです。
当時の私は、当然、そんな風に思えるはずもなく、圧倒的な劣等感を抱きながら、「コツコツ努力をする」ということにしがみついた人生を歩み始めました。
夏休みの宿題といえば、ギリギリになってやる代名詞のようなものですが、私は小学校2年生の時から、高校を卒業するまで、7月中に終わらせていました。
小学校4年生の時には、計算ドリルを2日くらいで終わらせた結果、中指に大きなペンだこが出来てしまい、それは今も残っています。
「コツコツ努力する」という『生き残り戦略』は、数々の「勝利」を創り出してくれましたが、「勝って当たり前」というぐらい努力するので、勝利の喜びというより、『予定通り』勝利を手に入れられてホッとするという感じでした。
それだけでなく、要領よく結果を残す人に対する強烈な劣等感と、要領だけでなんとかしようとする姿勢への嫌悪感。
そして、要領がいい人が本気を出したら、簡単に自分は追い抜かれてしまうに違いないという、強烈な不安を長い間、抱えていました。
そんな私を見て、大学時代の友人が言ってくれたことがありました。
彼は、二浪して私と同じ大学に入っていたので、私よりも二つ年上でしたが、底抜けに優しい性格で、男女に関わらず慕われていました。
その彼が私に言ったことは、
「中土井は、俺と同じで、積み木をガンガン積み上げるように、すぐに高い結果を残せるような、要領よくやれるタイプとちゃうと思うねん。砂場の砂で山を作るように積み上げて行くタイプやから、なかなか高うなれへん。でもな、積み木と違って、土台がしっかりしている分、そこまで積み上げた分は、なかなか崩れへんで。積木みたいに簡単に、積み上げた分は、すぐ崩れてまうねん」
という言葉でした。
今から思うと、大学生とは思えない含蓄に満ちた言葉で、二浪という経験が、そこまでの言葉をいわしめるだけの深みを創り出していたのかなと思います。
その言葉を聴いた時、心の底から救われた感じがして、その言葉を支えに、大学時代以降も過ごしたと言っても過言ではありません。
その彼は、弁護士を目指していましたが、その後も砂の山を築くように、司法試験に落ち続け、10年目に見事合格し、今は大阪で弁護士として活躍しています。きっと、誰よりも人の失敗に対して寛容で、人の痛みが分かる弁護士として、周りの方から絶大なる信頼を得ているのではないかと思います。
私の方はといえば、社会に出てから才能と要領のよさに恵まれた人達に囲まれて、辛酸をなめ続け、絶望の縁にまで追いやられたという感じでした。
今となっては、才能というより、日々の積み上げが大切な仕事に出逢うことが出来、自分の特性にあった仕事が世の中に存在していてよかったなと痛感しております。
ところが、長年染み付いた「コツコツ努力しておかないと、後で痛い目にあう」という感覚は、簡単にぬぐえるものでもなく、どれだけ結果を残そうと、焦燥感は常に存在しているというあり方をしておりました。
そんな中、ちょうど一年前、家族で北海道に来た時に、レンタカーを運転していながら、ラジオから流れるある曲を聴きました。
それは、誰もが知る「ウサギとカメ」の童謡です。
この曲を聴いている時、「自分は、まさにこのカメだった」と思いました。
おまけに、ただ熱心に進んでいるカメというわけではなく、「いつか、ウサギに追い越されるだろう」という不安を抱えながら、自分に休憩を与えることさえ出来ないカメだったのです。
そう思えた瞬間、「よくやってきたな」と自分で、自分をいたわるような、慰めるような声が内側から湧き上がってきました。
車の運転中にも関わらず、涙がわっと溢れて来て、涙をこらえながらも、自分の胸の奥が温かさに満ち、開いていくような感覚が得られました。
そして、生まれて初めて、「まあ、カメでもいいか」と思えたのです。
今も、目先のことが思うように上手くいかなかったり、何もしていない手持無沙汰な時間があると、「なんとかしなきゃ」という感覚に襲われますが、「それは、それでよしとしよう」と思えるようになっています。
ダメな自分、気に入らない自分は、どんな人の中にも何かしらあるのではないかと、最近、つくづく思います。
それは、たとえ、要領の良い人であったとしても。
それを「右利き」、「左利き」のように、自分の特性として受け入れられることができたら、自分や人に優しくなれるのかなと感じています。
そして、それが、言葉で言うほど、簡単に出来ないのも人間らしいんだなとも思います。
(文責:中土井)
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森 信三 『一日一語』 8月

 八月一日
一、礼を正し
二、場を浄め
三、時を守る
これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にも当てはまるべし。
 八月二日
われわれ、人間はそれぞれ自分の宗教的人生観―真の人間観―をもつべきである。
そしてそれは極微的には、そてぞれその趣を異にし、最終的には、一人一宗ともいえよう。
 八月三日
人間の智慧とは、
(一)先の見通しがどれほど利くか
(二)又どれほど他人の気持ちの察しがつくか
(三)その上何事についても、どれほどバランスを心得ているかという事でしょう。
 八月四日
英知とは、その人の全知識、全体験が発火して、一瞬ひらめく不可視の閃光といってよい。
 八月五日
一眼はつねに、個としての自己の将来の展望を怠らぬと同時に、他の一眼は、刻々に変化してゆく世界史の動向を見失わぬことです。
こうした異質的両極を、つねにわが身上に切り結ばせつつ、日々を生き抜くことが大切でしょう。
 八月六日
形ある石ひとつ分からぬような人間に、どうして色も形もなく、そのうえ転変常なき人心の察しなど出来るはずがない。
いわんや子らの心を心を育てみちびく教育の如きにおいておや。
 八月七日
秋になって実のなるような果樹で、春、美しい花の咲く樹はない。
 八月八日
すべて物事には基礎蓄積が大切である。
そしてそれは、ひとり金銭上の事柄のみでなく、信用に関しても同じことが言えます。
このほうがはるかに重大です。
 八月九日
才無きを憂えず
才の恐しさを知れ
 八月十日
「すべて最上となるものは、一歩を誤ると中間には留まり得ないで最下に転落する―」とは、げに至深の真理というべし。
 八月十一日
夫婦の仲というものは、良きにつけ、悪しきにつけ、お互いに「業」を果たすために結ばれたといえよう。
そしてこの点に心の腰がすわるまでは、夫婦間の動揺は止まぬと見てよい。
 八月十二日
女が身につけるべき四つの大事なこと
(一)子供のしつけ (二)家計のしまり。 (三)料理。 そして(四)最後が清掃と整頓
 八月十三日
性に関しては、たとえ人から尋ねられても答える義務はない。
何となれば聞く方が非礼であるのみならず、「性」に対する冒涜だからである。
 八月十四日
男の子は素質的には母親似が多く、娘は父親似が多い。
そして後天的には、息子は父親に、そして娘は母親に学ぶ。
ここに生命における「性」の相互交錯と交互浸透、ならびに先天と後天の絶妙なる天理が伺える。
 八月十五日
一粒のけし粒だにもこもらへる命貴たふと思ふこのごろ
 八月十六日
人間の生命が、たがいに相呼応し共感し得るということは、何たる至幸というべきであろうか。
世にこれに勝るいかなる物があるであろうか。
 八月十七日
人間はいくつになっても名と利の誘惑が恐ろしい。
有名になったり、お金が出来ると、よほどの人でも、ともすれば心にゆるみが生じる。
 八月十八日
その人が何を言っているかより、何を為しているかが問題。
そして両者の差がヒドければヒドイほど、その人は問題の人といってよかろう。
もしその上に有名だったら、一種の悪党性がつけ加わるとさえ言えよう。
 八月十九日
人間は才能が進むほど、善・悪両面への可能性が多くなる。
故に才あるものは才を殺して、徳に転ずる努力が大切である。
 八月二十日
水鳥の朽木(くちき)に浮かぶ真白さを 清(すが)しとぞ見つ朝の汀(みぎわ)に
 天地(あめつち)の明けゆく光ほのぼのと 朝の河面(かわも)にわが見つるかも
 八月二十一日
他人の学説の模写的紹介をしたり、あるいは部分的批評をする事をもって、哲学であるかに考えている人が少なくないが、真の哲学とは、この現実の天地人生をつらぬく不可視の理法を徹見して、それを一つの体系として表現する努力といってよい。
 八月二十二日
世の中には、いかに多くのすぐれた人がいることか―それが分かりかけて、その人の学問もようやく現実に根ざし初めたと云えよう。
 八月二十三日
われわれ人間は、ただ一人の例外もなく、すべて自分の意志ないし力によって、この地上に生まれてきたのではない。
そしてこの点に対する認識こそ、おそらくは最高最深の叡智といってよい。
されば我われ人間がそれぞれ自分がこの世に派遣せられた使命を突き止めねばなるまい。
 八月二十四日
一切万有は神の大愛の顕現であり、その無量種の段階における発現というべきである。
 八月二十五日
真実というものは、一点に焦点をしぼってピッチを上げなければ、発火しにくいものである。
 八月二十六日
人間関係―与えられた人と人との縁―をよく噛みしめたら、必ずやそこには謝念がわいてくる。
これこの世を幸せに生きる最大の秘訣といってよい。
 八月二十七日
宗教は人間が立派に生きるためのもの。
随って人間は神には仕えるべきであるが、宗教に仕えるべきではあるまい。
ひとつの宗教にゴリゴリになるより、人間としてまっとうに生きる事の方が、はるかに貴いことを知らねばなるまい。
 八月二十八日
真の宗教が教団の中に無いのは、真の哲学が大学に無いのと同様である。
これ人間は組織化せられて集団になると、それを維持せんがために、真の精神は遠のくが故である。
 八月二十九日
親鸞は「歎異抄」の冒頭において、「弥陀の誓願不思議に助けられまゐらせて」と言う。
その不思議さを、親鸞と共に驚きうる人が、今日果たして如何ほどあると言えるであろうか。
 八月三十一日
人間はこの肉体をもっている限り、煩悩の徹底的な根切りは不可能である。
そしてこの一事が身根に徹して分かることこそ、真の救いといってよかろう。
 八月三十一日
看護(みとり)しつつ独り坐すれば人間のひと世の運命さだめしじに思ほゆ
これの世の「業」を果して逝きにける人のいのちの今や清すがしも

『わが家の母はビョーキです』

図書館で借りて読んでみましたが、なかなかの良書でした。
続編も面白かったです。

わが家の母はビョーキです(中村ユキ)

asahi.com(朝日新聞社):わが家の母はビョーキです(中村ユキ)

http://www.asahi.com/showbiz/column/manga_henai/TKY200907030236.html

honto電子書籍ストア – わが家の母はビョーキです/中村ユキ – 電子書籍 http://honto.jp/ebook/pd-series_C-MBJ-20093-2-12912X.html

最近読んだ本

図書館で借りて、ざっと読んだ本シリーズ。
最近、新書に面白いのがありますね。
『親指はなぜ太いのか―直立二足歩行の起原に迫る』 (中公新書) 島 泰三
Amazonのレビューに目を通していただければ、おおよその見当はつくと思いますが、
読む楽しみのある本でした。
『統合失調症―精神分裂病を解く (ちくま新書)』
決して、入門書としてはオススメできないが、ある程度知識がある人には面白いかも。
これ読んで、統合失調症―精神分裂病に興味が出ました。
自分の、通り一遍の知識では、何もわかっちょらんのだな、と。
その流れで『ボクには世界がこう見えていた 統合失調症闘病記』も読みました。
この本も、患者の方が書いた、内側からの体験記としては面白し。
ただし、後半、少し読みつかれた感があり。
『やめたくてもやめられない脳―依存症の行動と心理 (ちくま新書)』
面白かったです。特に、p94からのくだりと、p148~の「状態依存」の話など。
耐性、退薬症候など、どうして起こるのかの説明とか。

『祈りの海』 グレッグ・イーガン

しばらく前、図書館で借りて読んだ本。
グレッグ・イーガン、すごいすごいという話は以前から聞いていて、遂に手に取ってみたのですが、
たしかにすごい短編集でした。
圧倒されました。
その感じは、しばらく前、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』 (ハヤカワ文庫SF)を読んだときにも似ています。優劣つけがたいですね。
この作家さんは、アイデンティティの問題(自分とは何か? どこまでが自分なのか? それは何故?)との問いを反復します。それは、誰もが言ってる通りで。
しかし、その手法・設定・アイデア・肉付けが、凄いです。
最後の、「祈りの海」Oceanic (1998)は、キリスト教(初期の、異言など含む)を知っておられる方には、かなり面白いです。
SFなんて興味ない、という方も、ぜひ、この作品は手に取っていただきたいです。
現代SFが、こんな風に進んでるんだ、というのは、少なくとも、私にとっては驚きでした。
読書冥利に尽きる、読まずに死ねるか! と云う感じの本ですね。
あと、この本、訳が妙にうまいです。
「愛のある訳」というか、実に丁寧で的確な訳をされていると思います。
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『祈りの海 (ハヤカワ文庫SF)』 グレッグ イーガン
祈りの海 / グレッグ・イーガン – 誰が得するんだよこの書評
祈りの海(グレッグ・イーガン、早川書房) – 部屋を掃除したら漫画が沢山出てきたので書く日記
グレッグ・イーガン氏ブックレビュー
http://raffiner.blog70.fc2.com/blog-entry-1430.html