『EQ こころの知能指数 (講談社プラスアルファ文庫)』
内観コースも、気づき系(ヴィパッサナー)コースも、共に、それぞれの仕方で、EQを上げるトレーニングをしていると言えるでしょう。読んで損のない良書です。
気づき系瞑想コースは、主に「EQ基本定義5項目(p.74)」の、「1. 自分自身の情動を知る(情動の自己認識)」と「2. 感情を制御する」に、内観コースは、主に「4. 他人の感情を認識する(共感能力)」と、「5. 人間関係をうまく処理する(他人の感情をうまく受け取める)」に関係していると思います。
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疲労と不安と怒り、そして、それの表現としてのイライラの頻発
(震災後、しばらく経ってから書いた文章のお蔵出しです)
疲労と不安と怒り、そして、それの表現としてのイライラの頻発―
それが、私たちの多くにとって、現在問題となっていることではないでしょうか?
長期間に渡り、解消されないまま続いた「不安」は、疑いとなり、
より不安を強めるストーリーを生み出し、暴走し、
向けどころの無い「怒り」は、その理由付け(怒るに足る正当な理由)を探し、
分かり易い標的を見つけ出しては、それを発散しようとします。
「イライラ」は、生活を覆い、自分の心身を(放射性物質以上に)痛めつけていきます。
心身ともに、疲れてきています。疲労は溜まっています。
これまで安楽な環境のなかで、スピリチュアルな覚醒、愛や融合の話を楽しんでいた私たちの多くが、徐々に不安や恐怖、ストレスの産む「ネガティブストーリー」に巻き込まれつつあるように思えます。
はっきり言えば、私たちの多くが、これまで分かった風に喋っていた、
覚醒の教えやワンネスの教え― いま、ここしかない、とか、恐怖は思考が生み出す、とか、
そういった「カッコイイ話」が、全部、頭のなかの理解でしかなく、
あっけなくメッキが剥げてしまっている人が多いのではないでしょうか。
もし、自分がそうであるなら、
まず、そのことを率直に認めることからしか始まらないと思います。
自分の「分かったつもり」「悟ったつもり」なぞ、何の役にも立たなかった、
津波をさえぎる防波堤ほどの役にも立たなかった、と。
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修行に行きたければ、この現実以外に、実践の場はなく、
最高のグル(師)を探したければ、この現実(の状況)のなかにしか居ないでしょう。
この「現実と云うグル」の与えてくれる課題を避けていて、
心の修行の始まりはないでしょう。
■
人間には二つの種類しかありません。
一つは、問題 ・責任を、外に(他に)見ようとする人。
もう一つは、そのすべてを、内に(自分に)見ようとする人。
他を責めている限り、自己の本質的な変化はなく、
状況の本質的な改善もないでしょう。
(他の持つ問題も熟知した上で)まず、自分の側の問題を誤魔化しなく見つめ、
それにまず取り組んでいくとき、問題は動き始め、状況は変化していき、外の世界にも影響します。
■
疲労、不安、怒り、イライラ―
いま、自分の中にそれしかないのが事実なら、それ以外に(それの外に)解決法も答えもありません。
その否定的感情自体がグル(師)であり、それに習うしかありません。
それだけに、徹底して留まるしかありません。
自分の、外に向けての情報収集が、この内なる不安、不満、イライラ、ソワソワからの、うまい逃避でないか確認してください。
もし、逃避であるのなら、まず、その「現にあるもの」からの逃避を止めてください。
そして、自分の限られた自由になる時間(空き時間)を、
その「現にあるもの」との対話・直面に振り向けてください。
「自分=問題の感覚に留まること」→気づきの瞑想コース – 気づきの研修所(このファイルに組み込まれました。2021/1106)
この、しばらく前の投稿に書かれていることを、
今まさに実践してみるべきときではないでしょうか。
それを最後までやり抜いたとき、
普通では得られない、大きな宝、大きな安定を得られることと思います。
今やらずに、何時やるのでしょうか。
真に自分を救ってくれる情報は外側にはなく、
自分の内側からしか出てきません。
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では、このような状況・場面で、有効な対処法とは何でしょうか。
「有効な対処法」とは、不安、怒り、イライラを、
思考によって自己増幅させることなく、
周りに向け爆発させることもなく、
自己に向け、心身を痛みつけ、消耗させることなく、
解消していくための術です。
(続く)
今回のような事態が長期化した場合、
放っておけば、心のなかを、不安、怒り、絶望が覆っていってしまうことは
避けられないことでしょう。
不安からは、様々な疑いが生まれ、増殖し、
怒りは、当面の分かりやすい標的を探し、攻撃することで、
このやり場の無い塊を吐き出そうとするでしょう。
災害初期における、緊急時の生体の適応(防衛)反応である、
事態に対する非現実感・夢を見ているような感じや、無感情(感情を感じられない)、あるいは一種の躁状態(ハイテンション)、身体的には、ケガや打撲の痛み、あるいは疲れすら感じとれない(自覚できない)緊急事態モードは、すでに解除され、これから本格的に、自身の喪失感、痛み、悲しみ、絶望、怒りと向き合わなければならない辛い時期が始まるでしょう。
被災の程度はそれぞれですが、多くの人が、この一ヶ月間、不満、不快、イライラ、我慢を大量に感じ、その解消できないイライラ(怒り)が、様々な場面で、問題をこじらせています。
もし修行者であるならば、この大変な場面で、いかに自分の中の怒りを外にぶちまけ、更なる怒りの連鎖を作ることなく、自己解消できるか、
「怒り」と云う(投げ込まれた)材料を、如何に「気づき」によって無害化・無毒化し、自分(意識)を動かしていくためのクリーンエネルギーに変換できるか、
自分の存在そのものを、「気づき」による浄化装置・発電所にする試みに取り組んでいくしかありません。
いかなる場合であれ、怒り、不安、疑いに発した行為、行動、言葉は、良い結果を生み出しません。
事態を、ますます混乱させ、救いがたいものにするだけです。
外へ向けた怒りには、解決も救いもありません。
自分の心身が、より一層、駄目になっていくだけで。
怒り、疑い、不安は、自分の心身を痛めつけます。
自分に毒ガス攻撃をかけているような、感情の自己中毒状態でしかありません。
「怒る理由」の正当性など、問題ではなく、義憤も、私憤も、関係ありません。
楽になりたかったら、救われたかったら(理屈はどうでもいい)
怒りを自分のなかで解消することです。
これを機に、抜本的な社会改革をするべきだと考えるなら、それも良いでしょう
(間違いなく、為されるべきでしょう)
でも、今は、外に向けて怒っている場合ではないのです。
頭の中の「妄想」に対処するのではなく、現実に対処すること。
ここで言う「妄想」とは、ホントの原因とか、隠された意味とか、責任は誰にあるとか…そういったことを含めた全てです。
また事実によって自身の中に引き起こされた「不安、恐怖、絶望、悲しみ、怒り、憤り」なども「妄想」の部類に入るでしょう。
後付けで不備(考えの甘さ)を指摘したりすることは誰でも言えます。
そのような発言を聞いて、向けどころのない(やりどころのない)怒り、不安、恐れの標的を作りあげ、内的感情の捌け口を作る=義憤と云う自分に正当性が有りそうな形で怒る、と云うのは良いこととは思えません。
内観研修の仕事をして感じるのは、人間には、すべての(良くない・うまく行っていないことの)責任を、人に負わせようとする人と、自分に引き受ける覚悟をする人との2種類しかないということです。
人のせいにしている限り、不満、怒り、腹立ち、被害者意識(トラウマとか)しかなく、
自分に引き受ける覚悟ができれば、始めは苦しいですが、受容することの安定が出てき、改善への一歩を踏み出せます。
その、どちらかの道しかないと思うのです。
本当に人間は、問題はすべて外に(人に)みるもので、
今回の地震に関しても、事件が起こると「誰のせいにするか」しか考えていないように思えます。
地震が起こったのは誰のせいでもないでしょう。どう考えても。
そのことが分かっているから、2次災害の方へ目を向けて、「これは人災だ」とか怒りを向けれる誰かのせいにすることで、地震そのものへのショックを解消しようとする。
誰かのせいにしたいなら、こんな宇宙を作った(そして、こんな世界、社会、政治を作ることを許した)創造者=神のせいにするくらいしかないと思うのですが、
2次災害(人災)的なものについても、人を責め立てるのではなく、冷静に、すばやくより良い対応を選ぶしかないし、そして、今回無理だったら、落ち着いてから社会構造を変える議論を進めるしかないのでしょう。
そんな馬鹿な国や政治家や電力会社を維持して、そこから電気の供給を受けて生きてきたのは私たち自身な訳ですものね。
「人間としての弱点」と云う言葉が出てきますが、
もはや、誰がどれだけ丁寧に「状況は、少なくとも悪化はしていない、このまま収束に向かうならば大丈夫だ」と説得しても、それが御用学者の事実隠蔽にしか思えない心理状態になっている人も多く居るようで、不安、恐怖、怒り、恐れ、悲しみ、絶望、などを、いかに自分のなかで処理していくかにしかないように思います。
人生を幸せにする(変える)魔法の口ぐせ(言葉)
『ちょっとした習慣であなたの人生は変わる ―思いのままに望みが叶い、最高の自分を手に入れる!』
『自分を変える魔法の「口ぐせ」―夢がかなう言葉の法則』
いつも意識的に肯定的な言葉を選び、脳に栄養を与えてみてください。
それを読み取った自律神経がいきいきとはたらき、心身ともに快調にしてくれます。
良い口ぐせを習慣化することで、こうありたいと望む自分の姿が現実のものとなっていくのです。
言語習慣こそが、思考習慣を形づくる源です。
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M氏は今も昔も、いかなる場面でも否定的な言葉をいっさい使いません。
何であろうと、まずは肯定してからはじめます。
「天気が悪い」と言うかわりに「いい雨が降っている、傘を持っていくとするか」、
「風邪を引いてしまって調子が悪い」のではなく、「そろそろ休めと体が教えてくれている」となります。
そして、1日も欠かさずに、成功キーワードの口ぐせを実践し続けています。
「今日も1日すばらしい日になるぞ」
「私は何て幸せなんだろう」
「お父さん、お母さん、ありがとうございます」
「私の未来はどんどん開けていく」と、大きな声で三唱するのです。
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M氏は、最初は小さなアパートを事務所にして、夫人とふたりだけの会社をスタートさせましたが、わずか20数年で、年商600億円の大会社、海外6ヶ所に法人をつくるまでに大躍進しました。
脳のオートパイロットのはたらきに導かれるまま、必要な時に必要な人材やビジネスチャンスが現れて、人生の大きな目標を達成したというわけです。
「何処でもない場所」「誰でもない人」に立ち返る時間を持つ
「何処でもない場所」「誰でもない人」に立ち返る時間を持つ。
たとえば… 眠るとき、布団のこの感触のみ…
大森曹玄師の言葉
禅は、過去という死んだ時のなかに生命の亡骸を反省することでもなければ、未来という幽霊のなかに生命を模索することでもあるまい。
即今・眼前、いま、ここに全生命を完全燃焼させて、時ぎり、場ぎりに全体作用するものが禅だと、私は信じている。
しかも、前後を截断した現在は、現在でありながら時を越えている。
したがって、過去と未来を切って捨てるとき、かえっていわゆる『三世古今、始終当念を離れず』という言葉のように、対立を絶した永遠なるものに当面するのである。
エコ・テロリズム
『エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ』
この本、未読ですが、面白そうです。
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Amazonの読者レビューから
◆ なぜ「環境運動」と「動物解放運動」は過激化していくのか?その「内在論理」に迫る
By 左党犬
今年もまた始まった、日本の調査捕鯨船に対する「シー・シェパード」の暴力的な妨害活動。この背景には、いったい何があるのか知りたくて本書を手に取った。
「シー・シェパード」による直接的暴力行動は、明かに常軌を逸したものであり、かれらの観念の中で肥大化した「敵」を殲滅することを目的とした、テロリズム以外の何者でもないと考えるのは、けっして私だけではあるまい。
「シー・シェパード」がいかなる理由のもとに行動しているのか、私も含めておそらく多くの日本人にとっては理解不能なものだろう。しかし狂信的にみえる彼らの言動も、彼ら自身のアタマのなかでは、自らの行動を正当化する、彼らなりの理由や動機があるはずに違いない。また、なぜセレブも含めた少なからぬ賛同者が存在するのか。
本書は、そういった疑問に答えてくれる本である。