図書館で借りた本ですが、この本は「大当たり」でした。
「風邪の効用」とか良く聞く話しですが、この本の前半部分では、その手の話を「進化生物学」「進化医学」の立場から進めていきます。
更に、そこに留まらぬ興味深い視点と話題が最後まで次々と繰り出されてページ捲るのにワクワクする本です。
進化生物学の視点を宗教的な事象(輪廻という観念や、自然現象の後ろに意味(意思)を見出そうとする人間の傾向性など)に当てはめて考えてみることを思いました。
今の時点で、今年のベスト3に入る、色々なことを考えさせてくれる、良い本です。
『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』
ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ
病気はなぜ、あるのか
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0759-5.htm
進化医学 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%8C%BB%E5%AD%A6
『病気はなぜ,あるのか?』 – 本を愛する医者のブログ
http://d.hatena.ne.jp/nakamurakaoru/20080814/1218698294
病気はなぜ、あるのか – めざせ、ブータン
http://blog.goo.ne.jp/pgpilotx/e/6cb14d7334434a12872da545d9eca4bd
病気はなぜ、あるのか(進化医学による新しい理解): 治験おすすめ書
http://horai-med-book.seesaa.net/article/46385128.html
カテゴリー: blog
神の声と悪魔の声
神の声と悪魔の声を聞き分けるのは難しい。
修行の道に分け入る前に、
まずそのことを知っておくべきである。
いま、ここ
この「いま、ここ」に本当に満足でき(てい)ない人は、
その「いま」を「何時(いつ)」に変えても、
その「ここ」を「何処(どこ)」に変えても、
本当に満足できる(する)ときはない。
これは言い古された言葉ですが、絶対的な真実です。
故に「全身全霊全力」で、
いま、ここの、この自分に、立ってるしかない。
「全身全霊全力」で、いま、ここ、この事実に突っ立とうとする努力を
「修行」と呼ぶ。
その「今に居る」修行窮まり、どうにもこうにもならぬとき、
この私は「いま、ここ」には居れぬのだと分かったとき、
その挫折的了解の果てに、
すべては、常に/既に、今ここにあったのだと云うことを見出す。
「いま」ではない「何時か」、
「ここ」ではない「何処か」、
その実在しない頭の中の妄想の熄んだとき、
落ちどころ(残る場所)は、
この、始めからあった、「いま、ここ、この事実」しかないからです。
上田三四二の歌と文
ここのところ、『短歌一生― 物に到るこころ』 上田三四二
と云う文庫本を夢中になって(研修中なので少しずつですが)
読んでいます。
図書館でリクエストして借りてみたのですが、10頁くらい眼を通して、
あまりの素晴らしさに、即、amazonの中古にて注文しました。
ため息が出るほど見事な美しい日本語の文章が、
密度、緊張感の途切れないまま、ずらっと続く、驚くべき内容です。
憧れるしかないですが、
これもまた倦まず弛まずの精進によって成り立っている文章なのでしょうね。
短歌論ですが、文章論であり、
私にとっては、見事な「修道論」です。
この歌が好きです。
ちる花はかずかぎりなしことごとく光りをひきて谷にゆくかも
上田三四二 – Wikipedia
『この一身は努めたり』小高賢・著