まことなきおのが心をあらためて 祈ればまことあらわれぞする
(真なき己が心を改めて 祈れば真、現れぞする)
心だにまことの道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
悲しむべし凡愚の瞋恚無慙無愧 咎なく過ごすまさに是れ僥倖
極楽は西にはあらず皆身にあり 地獄のさまも己がこころぞ
己心の弥陀、己心の悪鬼の入りまじり 今日ひと日の無事に額く
まことなきおのが心をあらためて 祈ればまことあらわれぞする
(真なき己が心を改めて 祈れば真、現れぞする)
心だにまことの道にかなひなば 祈らずとても神や守らん
悲しむべし凡愚の瞋恚無慙無愧 咎なく過ごすまさに是れ僥倖
極楽は西にはあらず皆身にあり 地獄のさまも己がこころぞ
己心の弥陀、己心の悪鬼の入りまじり 今日ひと日の無事に額く
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手技として、技法を理解・習得するためには、DVD4枚組×2が必要なのですが、それとは別に、この「身体の路線地図」は、アレクサンダー・テクニックで云う「thinking 思うこと」の材料として有効です。
この経路を自分のなかで思い描くことだけで、かなりの体の変化が出ます。
つまり、手技療法の技法としてだけでなく、身体認識の一つの理論として、面白いし、使えると云う印象が強いです。
かなり高価な教材ですが、Yahooオークションなどで中古が出回っており、それだけの価値はあると感じます。
『環境危機をあおってはいけない』
図書館で借りて読みましたが、なかなか良い本でした。
環境問題を考える際のバランスについて、改めて考えさせてくれます。
ビョルン・ロンボルグ「環境危機をあおってはいけない――地球環境のホントの実態」
環境危機をあおってはいけない -コメント
「呼吸で人生をストレッチする!」から
http://archive.mag2.com/M0084072/index.html
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私は整体師を名乗っていますが、セミナーやレッスン時にはよく、「頻繁に整体やマッサージを受けるのはやめましょう!」と提唱しています。
なので、周りからは変わった整体師といわれることもしばしばです。(笑)
以前からこのメルマガでも度々その理由を書いていますが、他人にほぐしてもらうだけで、自分で身体を使わないでいると「依頼癖」を身体が覚えてしまいます。
ただ身体を横たえて委ねているだけでは、骨盤周りを取り巻く筋肉がどんどん弱っていくだけです。
弱ったままの筋肉では、いくら骨盤を正しい位置に矯正しても姿勢を保てませんし、開閉という動きも出来ないままです。
そういった考えから私は現在、整体の施術のみを希望される方はお断りしています。
今は毎日、正しいストレッチと16時間酵素断食の指導に切り替えました。
筋肉を揉んでも、揉みグセがつくだけ、骨盤を矯正してもらっても周りの筋肉が弱まるだけです。
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20年以上整体を続けてきて、痛感している事があります。
骨盤を第三者が人工的に矯正する事の不自然さです!
脚の長さが左右でかなり違っていても、そのほとんどを一度の骨盤矯正でそろえる事は簡単なのですが、それを維持する事がいかに難しいかは、多くの施術家も患者さんも共に思い知らされています。
骨盤は、一日の朝~夜でも、開いたり閉じたり、上がったり下がったりと、常に動いています。
この骨盤のリズムは、人工的に変える事は出来ません!
朝を夜に変えたり、夏を冬に変えたり出来ませんよネ(笑)
人間の身体は動かない建物ではありません!
年中無休で動き続ける建物なのです。
今迄、私が何度、骨盤矯正をして歪みを整えても、歪みを再発させてしまい戻ってくる方が大勢いました(> <;)
ある時、ふっと考えたのです!
この人の身体は歪みたくて歪んでいるんだ!歪まざるを得ない理由と言い分があって歪んでいるんだ!!
それを第三者の私が得意の整体で矯正しても、表向きは整っても、身体の言い分を無視しているから、再発するのは当たり前だと・・・。
何度も書いていますが、身体を第三者にゆだねればゆだねるほど、身体の自然治癒力は弱くなっていきます。
だから、自分自身で筋肉のコリや関節の強張りをほぐしながら、身体が歪んでしまった言い分を聴いてあげる事が大切なのです。
そうして、息苦しかった身体の風通しを良くしてあげると、骨盤が開くべき時に開き、閉じるべき時に閉じるようになっていきます。
大切な事は、骨盤の止まった形よりも、しなやかな開閉が出来る動ける骨盤なのです!
攻撃は愛を求める叫びである。
この世で出逢う(縁ある)人は、すべてもう一人の自分である(自分自身を映した鏡である)。
ネット上の文章断片
特に、自閉圏の特性を「心の闇」とか心理的解釈(=深読み)しないでいただけるとありがたい、という点はおおいに同感でした。
殿堂入りしてる『行動分析学入門』(杉山尚子)では、たとえば”コタツに片手を入れたまま食事をする”のが「行儀悪い」と解釈され叱られる例があり、実は行儀の問題ではなく寒かっただけという種あかしがあります。自閉圏のたとえば”目を見て話さない”が「行儀悪い」あるいは「ひとを信用していない」等と解釈されたら、行動に対する評価、行動の主体である人格に対する評価まで変わってしまいそうで、「どうか深読みはやめてください」と私も常々思っていました。
「心の闇」というのは二重にひどい概念だと私は思っています。
まず、他人の行動の原因を、安易に「心」という目に見えない概念にもっていってしまう「心理主義」が出発点にあります。
そしてさらに、「心」に原因をもっていこうとしてうまくいかない(うまく説明できない)ときに、「もともとわからない『心』のなかで、さらにまったくわからないもの」として「心の闇」という概念を作り出して、何とかつじつまを合わせているわけです。
私は、「心の専門家」とか言われている人が「心の闇」といった概念を安易に使う場面を見ると、呆れてものが言えないほどです。