セドナメソッドと陽明学

【解放】 セドナメソッドpart5 【自由】

からの抜粋。
これを読むとやはり、セドナの「手放す」は、「受動的な気づき」のことであるように思えますね。
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感情や思考に対して「私」ができることは何もないそうです。
あるがまま(変化するがまま)に任せるのが「手放す」という意味だとか。
本来ほっとけば消えてなくなっていくそれらのものがいつまでも居座ってるのは、握りしめてるからだとか。
上手く手放せない人は「手放す」って言葉の代わりに「放っておけますか」とか「受け入れますか」とか、あるいは「認められますか」とか「愛せますか」のほうがいいかもしれませんね。これって多分全部同じ意味でしょうから。
一日中解放するって、何か特別なことをするわけじゃなくて、
自分のなかに湧いてきた感情や思考に抵抗せず、ただあるがままに任せるってこと。
日本語で手放すというと、たとえばタンスを手放すというふうに捨てに行くようなニュアンスがあるけど、let go ofというのは「離れていくに任せる」とか、「ほっておく」に近いニュアンスがあるみたい。
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陽明学で云う「良知」も、紛れもなく「受動的な気づき」のことだと、最近理解しています。