怒りは恩恵を隠している

貴方が、何かほんの些細なことでパートナーに対して怒りを爆発させてしまった後で、実はそのとき、相手は惜しみない愛を貴方に与えようとしていただけだった、と云う(誤解の)経験をされたことはないでしょうか。
私たちが、自分の気にさわる相手の言動をあげつらって怒り、責めるとき、自分ひとりで勝手に怒りを選択し、喜びを感じる機会を逃しています。
自分についての気づきを深めていけば、「怒りを選ぶか、愛を受け取るか」の選択が、どの瞬間にもできることが分かるでしょう。
怒りは、自己正当化、裁き、判断があるとき生まれます。
怒りと云う生理的な反応の持続時間は、実はわずか数分ほどです。
それを長く引きずっているのは、私たちの瞬間瞬間の(継続させることの)選択によります。
あらゆる怒りの場面には、気づきと恩恵の機会が隠されています。

自然はそんなにヤワじゃない

『自然はそんなにヤワじゃない―誤解だらけの生態系』

この本、図書館の棚に並んでいたので、なんとなく借りてみたのですが、面白かったです。
生物多様性の保全、環境問題などに関わる内容です。
読書の楽しみとは、新たな知識を更に増やす(上に積む)ことにではなく、
「信じている」とすら自覚していないほど自分にとって当たり前であった「知っていること ・ 自明のこと」があっさりと崩され、「知らなかったこと」に変貌する、「新たな仕方で見える」(ダルマ落としのように、重なって安定しているものをゴソッと抜かれる)、そこに読書の楽しみがあるのでしょう。
これは内観 ・ 瞑想など含め、生における体験全般に言えることで、プラスではなくてマイナスの、引き算の体験、そして認識の転換の体験に、ある程度の年齢がいってから先の、生きてることの楽しみ ・ 快感があるのでしょう。

書評「自然はそんなにヤワじゃない」: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログ

文明論として、この本も連想しました。
『銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎』

その他、関連しそうなもの

なぜゴルフは嫌われてしまうのか?

『害虫の誕生―虫からみた日本史』 (ちくま新書)

『「自然との共生」というウソ』

KOSMOSの覚書

先ほど調べ物をしていて、たまたま見つけたのですが、こちらのブログ、なかなか面白いです。
趣味が私に似ています。

KOSUMOSUの覚書/ウェブリブログ

印象的だった文章。

それに悲しみには、幸福感の中には絶対ありえないような一種の深さがある。
幸福感の中には何か浅いものがある。
笑いはきまって浅薄な感じがする。
涙は常に深い感じだ。
もしあなたがいつも幸福でありたかったら、あなたは浅い人間に、表面的な人間になるだろう。
ときには、悲しみの深みに、暗い深み、陰うつな深淵に落ちることも善いことなのだ。
両方とも善い。
そして人は、この両方の内に全面的に在るべきだ。
何が起ころうとも、その中に充全に入っていきなさい。
泣くときには、泣くことそのものになるがいい、踊るときには踊りそのものになるがいい。
そうなったら究極なるものがあなたに起こる。

もしあなたが、あなたに起こることすべてに対して証人であることができたなら、そのときにはあなたは家(ホーム)に戻ったということだ。

これはOSHOの言葉だそうです。

ケン・ウィルバー – Wikipedia

瞬間瞬間の綱渡り

順境の人は感謝を知らず、逆境にもまれ苦しんだ人が感謝を知っている。
私たち凡人は痛い目に遭わなければ、人生で最も大切なものが見えないのである。

……

夜半目覚めて静かに思えば、私はよくもこれまで無事に生きてこられたものだと思う。
人目には平凡な人生に見えても、まことに危ない綱渡りの連続であった。
この綱渡りは、これからも命のある限りは続くであろう。

……

朝、目を覚ましたら「ああ、ありがたいな、今日も自分をこの地上に生かせて下さるのか」と、まず感謝の祈りを捧げたい。

……

どこまで孤独寂寞に堪え得るかということが、指導者の資格を計る大切な尺度であろう。
「人を相手とせず、天を相手とせよ」といった南洲は、孤独沈痛の人であった。

『歩むもの』から

……

生活の全体は一瞬一瞬にあります。
この一瞬一瞬が挑戦なのです。
それに不適切に出会うことが生における危機です。

クリシュナムルティ

脳から考える

『単純な脳、複雑な「私」』 池谷裕二

瞑想、内観、ボディワークに関わる話や、自由意志に絡む話が次々繰り出されていて、前作『進化しすぎた脳』を超えて、更に面白いです。

『つぎはぎだらけの脳と心―脳の進化は、いかに愛、記憶、夢、神をもたらしたのか?』

Amazonの書評

インテリジェント・デザイン論に対する脳神経学者の反論
※ インテリジェント・デザイン論=知性ある設計者(神)によって生命が設計されたという説。
最後の最後に宗教が出てくるまで、著者の意図が読めず、散漫な印象が否めない。
脳にまつわるさまざまなトピックのうち、一見無関係な感覚と感情、記憶、愛、睡眠と夢を、なぜ取り上げたのかが、宗教の成り立ちを説明する8章で始めて明らかになるからだ。確かにこの8章は面白い。その8章から、脳に知的な設計者はいないという9章の結論につながってくる。