瞑想とは精神を一切の不正直から自由にすることである。
不正直の原因は思考にある。
正直になろうとする思考の試みは、何かとの比較による相対的なものであり、
それゆえ不正直をまぬがれない。
一切の比較は逃避の過程に他ならず、それゆえ不正直を生むのである。
正直とは不正直の対極にあるのではない。
それは何らかのパターンに従うことではなく、
あるがままの実相を全的に理解することである。
そして瞑想とはそのような正直さの、沈黙における運動である。
ブログ 『日々、刻々、流れるもの』
身体技法とは思考そのもの
(Amazonで、ある本のレビューとして書かれていた文章です。なるほど。)
身体技法とは思考そのもの
こころの語源は「凝る(こごる)」にあると言われる、体内の気の凝りが心。
安定しているとは自分の基盤に癒着していることだ。
古武術には「我あれば敵あり、我なければ敵なし」という伝書がある。
天敵がいなくなり、人は人を殺すものだという人類の宿命を認めたうえで、
鍛えぬいた技で人にたいすることは「逆縁の出会い」において、最高の礼を尽くすことなのだ。
部分はバラバラに独立して最善を尽くして動き、結果として全体の力となるという身体技法は、より良い社会(組織)のモデルとなりうるのではないだろうか。
女が男を厳しく選ぶ理由
図書館で借りて、この数日で少しずつ読んでました。
なかなか面白い本でした。
こういうPOPな感じの本から、進化論(進化心理学)に興味を持つと云うのも悪くないかな、と思いました。
身も蓋も無い話の連発ではありますが…
女が男を厳しく選ぶ理由(わけ)
書評 「女が男を厳しく選ぶ理由」 – shorebird 進化心理学中心の書評など
サトシ・カナザワが厳しい道を選ぶ理由 [科学に佇む心と身体]
μ-Ziq
正しいグルの選択
質問者 私は正しくグルを選択しなければなりません。
マハラジ
正しい人でありなさい。
そうすれば正しいグルがかならずあなたを探しだすだろう。
質問者 あなたは私の質問に答えていません。どのようにして正しいグルを見いだすのでしょうか?
マハラジ
だが、私は質問に答えたのだ。
グルを探してはならない。
考えさえしてはならない。
あなたの目的をあなたのグルとしなさい。
結局のところ、グルとは終焉そのものではなく、終焉への道なのだ。
あなたにとって重要なのは彼ではなく、何を彼から期待するかだ。
さて、あなたは何を期待しているのだろうか?
(中略)
あなたはあなたに奇跡を起こすためにグルが必要だと言う。
あなたは言葉で戯れているだけだ。
ロウソクと炎のように、グルと弟子はひとつの単一体なのだ。
弟子が誠実でないかぎり、彼を弟子と呼ぶことはできない。
グルがまったくの愛であり、献身的でないかぎり、彼をグルと呼ぶことはできない。
偽りではなく、ただ実在だけが実在を生みだすことができるのだ。
『私は在る』(p447-449) http://tinyurl.com/s747u
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『アセンション館通信』2011/10/23(第394号) http://now.ohah.net/pari/ より
アシュターヴァクラ・ギータ
『アシュターヴァクラ・ギータ』からの(細かい言葉使いなど)かなり適当な抜粋要約です。
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貴方(の本性)は純粋な気づき。
貴方は全てのなかに流れ、
全てが貴方のなかを流れている。
全ては私のものであり、
何一つ私のものではない。
なぜなら、真我は純粋な気づきに他ならないから。
賢い人は、全てが彼自身のなかにあり、
彼自身が全てのなかにあることを知っている。
智慧ある人は真我を知って、人生と云うゲームを楽しむ。
愚かな人は、重荷を背負うロバのように、この世を生きる。
何と彼は稀有な存在だろう。
自身が真我であることを知り、
ものごとが起こるにまかせ、行為する。
そして、決して恐れを知らない。
彼は自分が「二の無い一なるもの」、
全創造物の主である真我であると知っているのだ。
喜びや悲しみ、希望や絶望、生や死を通り抜けようと、
貴方は、変わることのない一なるもの、
貴方は常に満たされている。
私は、気づきそのもの、
それ以外の何ものでもない。
世界はマジックショー。
だが私には、
何ひとつ受け容れるものはなく、
何ひとつ手放すものもない。
全てのものごと(苦しみ)は立ち現れ、移り変わり、過ぎ去っていく。
それに気づけば、何も貴方をかき乱し、傷つけるものはなく、
全てのなかに私は在る。
それに気づけば、全ての想いは消える。