研修所、移転のお知らせ

3月末で終わる研修を最後に、屋久島を離れ、
研修所を宮島に移すことに決めました。
このことを決断した理由の大きなひとつとして、ここのところ、実家の母親の具合が、あまり良くないと云うことがあります。
私は、18歳で家を出て、それから現在に至るまで、基本的に年に1,2度、何かのついでの時にちょっと立ち寄ると云う以上のことはしてこなかったので、もう先がそう長くないのであれば、最後の期間くらい、そばにいてあげようかな、と云う気になりました。
ですので、屋久島で研修をお受けできるのは、あと、2月の前半だけとなります。
また、移転の支度の為、3月20日~4月15日前後まで、お休みします。
移転先は、観光地である島の東側ではなく、西側の御床浦というところで、
ウチの実家の唯一残っている持ち土地です。
現時点では、家も電気もない山のなかの静かな土地で、
すべてはこれから一つずつ作り上げていかなくてはならないのですが、
そこに残る人生賭けてみよう、と云う気持ちが、やっと定まりました。
詳細は、追ってお知らせいたします。

一日は一生の縮図なり

「一日は一生の縮図なり」、
かく悟って粛然たる念いのするとき、はじめて人生の真実の一端に触れむ。
森信三 『一日一語』 1月28日

盤珪禅師の言葉

師曰く「古今参学者、一回入所なしという事なし。然れども其の所に休すれば、少を得て足れりとす。此後大親切あらざれば、法眼円明成就しがたし。」
余曰く「然れども吾今法に措いて疑いなし。此上いかんとも力を著くべき様なし。」
師曰く「疑う事も無く問う事も無き田地に到る事は安ひ、法が甚深也、智恵が甚深也。到れば到る程深し。」

気にすることなく人を愛しなさい

人は不合理、非理論、利己的です。気にすることなく人を愛しなさい。
あなたが善を行うと利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく善を行いなさい。
目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなくやりとげなさい 。
善い行いをしてもおそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなくし続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとがあなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。
あなたの作り上げたものが壊されるでしょう。
気にすることなく作り続けなさい。
助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。
蹴り落とされるかもしれません。
それでも気にすることなく最良のものを与え続けなさい。
マザーテレサ

思考=自我の食べ物(識食)

これも、どなたかの文章。


私自身、毎日毎時間、思考で一杯ですが、思考が「自我」の栄養分という感じですね。
もちろんここでいう思考は、筋道だった思考ではなく、日常生活の大部分を占める、とりとめもない雑念のことです。
必要もない同じような思考を繰り返すことで「自我」がますます強化されていく、そんな傾向がありそうです。
しかし、そういうとりとめもない思考も自我の根強い欲求なので、それを無理に停止するのではなく、思考が湧く度に気付いていく、そんな風にできればよいと思っています。

あと三ヶ月で死ぬとしたら

これも、どこかで見つけた文章です。
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死ぬことをいつも考えていたい。
死というのは、本質的に生という視点からしか存在しないのだから。死とは生を映し出す鏡としての言葉に過ぎないのだから。
死ぬことを考えると、自分の生が浮き立つ。自分の持っている変なわだかまりが消える。いったい何を僕はそんなにこだわっていたのだろう。
自分の思っていることが、何が足りないのか、何ができるのか、何が楽しいのか、何が無駄なのか、はっきりする。
そう、僕は自分にとって大事なもの以外を求めてもいない。でも、そのようにはっきりと行動もしていないし、時間もとっていないし、何にもならない余計なこともしている。
今起ろうとしている新しい人間関係のなかでも、僕はなんて時間を無駄にしているのだろう。
明日がある、次こそは、そのうち、なんて思いながら、時機を期待している。
もちろんいつかはそういう時がくるにしても、なにも起ることをわざわざ先延ばしにしなくてもいいのだ。
結局、一期一会なのだろう。
明日死んでもいいように、決して死ぬときに「~しておけばよかった。」などということのないように、いつも生きていたい。
自分がしたこと、自分に起ったことを、いっぱいに感じていたい。
与えられていたものを見過ごすことのないよう、十分に感じていたい。
明日死んでしまっても後悔しないように生きること。
とてもシンプルなルールだけど、これでほとんど決まってしまうし、これがなければ人はついつい余分なことばかりをしてしまう。
殆どの人は死ぬ間際になってはじめて自分の人生を振り返るものです。
そしてあとどれだけ生きられるということになって始めて人生の自分にとって重要なものに順位をつけようとするのです。
でも、その時になってからでは大抵の場合がもう遅い。
殆どの人はなかなか自分を見ようとしないし、心の中にはたくさんの不安や壁があるから、そんな状況にでもならないと人は
「私は幸せです。」「好きなことをやっている。」「でも~だけはやらなければいけない。」「~は人生にとってとても大事だ。」と自分でも気づかずについつい嘯いてしまう。
達成しえないことはあります。でももし全力で取り組んでいたらあなたはやれることはやった。
だから口惜しい後悔はしないはずです。
ただ「明日死んでしまうとしたら。」といつも考えるいう単純なことで全てが変わります。
世の中には様々な成功哲学の書籍や方法が出回っていますが、人生を劇的に変える方法があるとしたら、本当にただこれだけではないかと思います。
あとの細かい情報はオマケみたいなものです。
でもついつい忙しくてそんなこと考えていられないという人は、エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」シリーズまたは他の著書を読んでください。そうしたら実感が湧くでしょう。
あなたも死んでいく人の一人であることには疑いがないのです。
どんな方法でも、全ての人に有効という方法はほとんどありません。なぜかというと人はそれぞれ違うからです。
でも一つだけ変わらないことは、あなたも死ぬ、ということ。
だからこの方法はすごく有効なのです。
そして、この言葉からあなたは他人ではない自分の言葉を聞くことになるからです。
それは自分が自分にするアドバイス。自分が自分に示す道です。だからこれは有効でないことがあり得ない。
「死」とは生の鏡でしかありません。死というのは本当はあなたにとっては存在しないのだから。
だから自分の死についていつも考えていることは、自分の生/命を燃やす方法になるのです。
人は自分が死ぬことを実感してはじめて、本当に生きることを始めるのでしょう。
もし明日死ぬとしたら、今この瞬間瞬間がいかに大事なものなのか、今自分の持っているものがいかに貴重であるか、今自分の会っている人がいかに大事な人であるか、わかってくるのです。とりあえず、いやきっとこれ以上、なんていっていられくなってくる。妄想の中で生きていくことはできなくなる。