被災者の方の心的復興のため、今後数年間、
10日間の研修コースを無料で提供いたします。
もし、現状が落ちついて、(いまは、そこで堪えるべきときです。死ぬ気になって頑張ってください)
その後、全てを失って、何も将来のビジョンが浮かばない、頭の中が空っぽな状態ならば、内観をお薦めします。
過去を本当に振り返り・いとおしみ(その重み、価値が分かり)
そのうえで、過去と別れを告げる、「喪」の作業を
内観は、深く助けてくれるのではないかと思います。
また、身体の問題が深刻であれば、ボディワークコースが良いです。
心から緩めます。
過去未来を捨てて、この未知なる「いま」に死に切りたいなら、
瞑想コースが必要でしょう。
それらが、全てを変え、再生 更新してくれます。
もし、本当に望まれて、屋久島まで来られる気持ち(覚悟)があるのなら、
研修を一つプレゼントいたします。
交通費は、(安くはないですが)何とか自分で工面して来てください。
現状が一区切りついたなら、おいでください。
お待ちしております。
投稿者: 霊基
被災地の貴方へ 1
この2日間、研修が空けて、自分の時間を持って持って考えてみるに、
自分が如何に、共感能力の低い、冷たい人間であったかを感じさせられます。
言い訳をさせていただければ、私の方は、目の前に問題を抱えて研修に取り組んでおられる個人がおり、それを自分の前の現実として、それに全力を注ぐしかなく、いま、ここの現実ではない、被災地の状況に感情移入している余裕がなかった、とは言えます。しかし、それも虚しい言い訳に過ぎないように思われます。
被災地に生きておられる貴方たちは、離れたところから、対岸の火事として今回の震災を見ている私たちに、怒りを感じる瞬間もあるでしょう。そして、絶望もあるでしょう。
私は、(研修者の方から、あるいはまわりの友人から)こんな質問を何度も受けています。
「自分は、震災の悲惨な映像をテレビ見ても、その大変さをメディアによって知っても、実は、それほどの現実味、共感、共悲を感じていない。そんな人には言えない自分に罪悪感を持っている。そのことをどう思いますか?」
それに対して、私はこう答えます。
「人類の進化の過程のなかで、その殆どの時間は、この「生身(五感)」で感られる現実だけが全てであり、それにもに全面的に対応することができるように脳は調整されている。
故に、どんなリアルな夢も、それを現実と混同して慌てることはない。もしそうなったら精神病と呼ばれます。
しかし、ここ何十年か、人間は、テレビと云うものを手に入れて、自分の現実の空中に、30cm×20cm、あるいは、50cm×70cmの、異世界(外の現実)の窓が開き、そこから他者の現実が流れて込んでくると云う、進化生物学的には特殊な事態を経験している。
生き物としての脳にとって、現実のリアリティ間は、まず「身体感覚」によって、またより深くは、「嗅覚(匂い)」によって、させられており、私たちは、「身体感覚」も「匂い」もない、映像と(スピーカーと云う人工的な音の定位である一点から流れてくる)音だけでは、その情報をリアルなものと感じられないようにできています。そうしないと、脳内妄想と、外界に対応している、世界のモデル(現実世界)を見分けることができず、身体的存続に不利だからです。
なので、いま、被災地の情報が、人事のように、テレビの中のフィクションのように、映画のように、テレビゲームのようにしか感じられないことで自分を責めることはありません」と。
まず、そのことを理解していただきたいのです。
私たちが、これまで外国で、どれだけ悲惨な自然災害があろうとも、
人事のように暮らしてきた、それが今度は、自分自身に、あるいは自分の身近に起こってきた。
瞑想系の教えは、まず第一に、「この自分が生きている5感で感じられる現実になりきり」、それを完全に生きること主眼が置かれています。
それは、これまで(この20~30年前までは)、それだけが人間の生きている現実の全てであったからです。
しかし、いま、それだけではなく、他の(他者の生きている)現実を自分の現実とする、あたらしい技(共感能力)を持つべき時期にあるのだと思います。
離れた場所に居る私たちにとって、いま、その渦中に居られる貴方たちと、同じ強度を持って震災の痛み・絶望を感じ続けることは、困難なことです。
私たちも、貴方たちの何十分の一か、何百分の一かは痛みを味わっています。
それを、ときには馬鹿話でも聞いて解放したいとは感じています。
そのお気軽な「解放」の場面を見て、腹立てることのないように、
「自分も、今回の震災に遭うまでは、人事であったな~ 同じことをしていたな~」と自身を内観する材料にしていただきたいと思います。
—-
4月も研修の問い合わせは幾つか入っていたのですが、いまのところ、28日まで空いております。
この久々の空白は何なのだろう、と考えましたが、
これを被災者の方への内的支援に使おうと思いました。
今日から、力のかぎり、具体的なアドバイスを書かせていただきます。
被災地の電波状況等、分かっていないのですが、もし、
メールで受信できた方が閲覧が楽であれば、記事を全てメールで送ります。
ご希望の方は、reiki@artofawareness.jpまで、連絡ください。
これまでの過去の記事は、余裕ぶって、偉そぶってて恥ずかしいかぎりですが、自分の過去の事実を忘れないため残します。
あまり推敲できていない荒い文章のままアップしていくことになると思いますが、お許しください。
反省しております
今日一月振りの休息で、気持を寛がせて考えてみるに、
私は、これまで、(重篤な)震災者の方が、このブログを見ているかもしれないと云うことを想定しておらず、これまでの記事は、(東京近郊など)周りの人々が、適切な判断・対応ができるよう、バランスを取るための記事に終始していた、と云うことに思い至りました。
不快に、あるいは悲しく感じて居られた方がいたならば、
謝りたいと思います。
では、まさにその現場に居る被災者の方に何を言えるか。
何の価値ある言葉を吐けるか。
これから書いていこうと思います。
面白き修行
> 「面白い」というのはげらげら笑えるということではなく、
> 「今まで気づかなかったものにスッと気がつくことですね。
> そのとき雲が切れて、向こうから光が差し込んできて、面が白くなる。
> それを昔の人は『面白い』といったんですね。
朝日新聞(1月26日) コラムニスト 天野祐吉氏の言葉だそうです。
そういう意味では、修行、つまり「気づき-洞察」こそ、
面白さの真髄なのではないか、と思ったりするわけです。
10日間コース3連発の最後のひとつが先ほど終了し、
寛いでいるところです。
今回の研修も非常に面白い内容となり、
近いうちに送ってくるであろう体験記を楽しみにしております。
陰謀論はどこまで真実か?
ここのところの世の中の動きを見ていて、陰謀論についておさらいしたくなり、
前から気になっていたこの本を読んでみました。
「備えあれば憂いなし」で、
過去にどのような陰謀論が存在し、
どのように生き延びてきたのかを知っておくことで、
新たなる陰謀話に出合ったときに冷静に対処できると思います。
トピックごとに完結していて、
2時間もあれば充分読める、読みやすい本です。
一家に一冊と云う感じで、陰謀論スタディ最初の一冊としてお勧めできます。
願わくば、
この本に書かれているレベルの陰謀論に関する基礎的知識が、
日本国内の平均的家庭で共有され、日常の当たり前な話題となることを。
『検証 陰謀論はどこまで真実か』 ASIOS
—–
この本の「あとがきにかえて」P.328~の抜粋です。
(良い内容なので頑張って打ち込んでみました)
問い 陰謀論は、なぜこんなに流行るのでしょうか?
山本弘 僕は陰謀論を生み出す心理は、神話を生み出した心理に似ていると思うんです。
昔の人は、自分の住む地域に洪水が起きて多くの人が死んだときに、「ただの災害だ」「意味なんか無い」とは思いたくなかった。
こんな大きな災害には必ず何か大きな意味があるんだと思いたかった。
それで「神が驕りたかぶった人間に罰を与えた」と云うストーリー生み出した。
現代においても、大きな災害や事故が起きるたびに陰謀論が生まれるのもそれと同じで、みんな「ただの偶然」「意味は無い」とは思いたくない。
事件の大きさに匹敵するストーリーが求められている。
ケネディやジョン・レノンのような偉大な人物が、平凡な一人の男に殺される訳がない。
彼らの死には、彼らの偉大さに見合う神話が必要なんです。
(略)
僕は陰謀論と云うものを、神話の現代版だと思っているんです。
「この世界で起きることに意味を求めたい」と云う人間の衝動が、事件を説明するストーリーを創造する。
違うのは、昔は陰謀の主体が神様だったのが、今は人間の仕業とされていることですね。
問い なぜ多くの人が陰謀論を受け入れてしまうのでしょう?
寺薗淳也 (略)陰謀論と云うのは、その中身はともかくとして、世の中の分からないこと、複雑なことを分かりやすく説明してくれると云うことがあると思います。
世の中は不合理なことだらけです。
明日事故で死ぬかもしれない。
突然、信じられない事件が起こるかもしれない。
そういうことが起こるたびに、人は必ず「なぜ」と云う感情を抱きます。
実際のところ、事故や事件に理由を求めるのは難しい場合がほとんどなのですが、人間は「なぜ、あの人が事故に遭ったのか」「なぜ、こんな事件が起きてしまったのか」と云うことについて、明確で分かりやすい説明を求めます。
その方が、分からないまま心の中に残っているよりは、心理的な安定を得られるからだと思います。
「ああ、そういう理由なんだ」と(中身はともかく)納得できれば、安心してその先へ進む力を得れられるでしょう。それが「心のなぐさめ」であったとしても、です。
陰謀論は、そういう心の不安定な状況につけ込んで、私たちの心に入ってきます。
心地良い話、規模の壮大さ、そして非常に明快な説明。(略)
さらに、陰謀論同士がまとまることで、さらに巨大な世界が構築され、変な話ですが、そういった世界への憧れ、あるいは「それを自分しか知らない」と云った優越感すら抱けるようになります。
(略)
陰謀論は、このように、人間の心理に巧みに入り込み、その人の心の隙間を埋め、優越感をくすぐることで、人を虜にしてしまうのです。
そして、いったん陰謀論に憑かれた人々は、その気持ちよさから抜け出すことを恐れ、陰謀論の考え方から抜け出せなくなってしまいます。いわば心理的中毒です。
これから抜け出すのは相当に大変なことだと云うのは、皆さんも想像がつくと思います。
だからこそ、怪しげな陰謀論にだまされないように、心を鍛えておく「予防」が重要なのです。
『病気はなぜあるのか? Why We Get Sick』
図書館で借りた本ですが、この本は「大当たり」でした。
「風邪の効用」とか良く聞く話しですが、この本の前半部分では、その手の話を「進化生物学」「進化医学」の立場から進めていきます。
更に、そこに留まらぬ興味深い視点と話題が最後まで次々と繰り出されてページ捲るのにワクワクする本です。
進化生物学の視点を宗教的な事象(輪廻という観念や、自然現象の後ろに意味(意思)を見出そうとする人間の傾向性など)に当てはめて考えてみることを思いました。
今の時点で、今年のベスト3に入る、色々なことを考えさせてくれる、良い本です。
『病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解』
ランドルフ・M. ネシー, ジョージ・C. ウィリアムズ
病気はなぜ、あるのか
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0759-5.htm
進化医学 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%8C%BB%E5%AD%A6
『病気はなぜ,あるのか?』 – 本を愛する医者のブログ
http://d.hatena.ne.jp/nakamurakaoru/20080814/1218698294
病気はなぜ、あるのか – めざせ、ブータン
http://blog.goo.ne.jp/pgpilotx/e/6cb14d7334434a12872da545d9eca4bd
病気はなぜ、あるのか(進化医学による新しい理解): 治験おすすめ書
http://horai-med-book.seesaa.net/article/46385128.html